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    January 16

    中日0610-0620

    2007年6月10日
     観光案内風にいえば森と湖、オーロラ、ムーミンで知られる国、フィンランドは日本から遠いようだが、ロシアを挟んで「隣国」になる。面積は日本よりやや小さく人口は約五百二十万人。専門家の間では自殺予防に成功した国として知られる
    ▼人口十万人当たりの自殺者数を表す自殺率が一九九〇年には三〇を超えていたが、総合的な予防対策を十年以上続けることで、30%減に成功した。世界保健機関は「自殺は、その多くが防ぐことのできる社会的な問題」と定義づけているが、それを証明している
    ▼日本では昨年の自殺者の数が警察庁の調べで三万二千百五十五人に上り、九年連続で三万人を超えた。その十倍から二十倍は自殺未遂者がいると推定される。自殺や自殺未遂が一件起きると、少なくとも強い絆(きずな)のあった人のうち五人は深刻な心理的影響を受けるという見方もある
    ▼事態の深刻さからすると遅まきの対応になるが、政府が先日の閣議で自殺総合対策大綱を決定した。自殺率を二〇一六年までに20%以上減らすのが数値上の目標になる
    ▼秋田県で自殺予防に取り組む秋田大学の本橋豊教授は『自殺が減ったまち』(岩波書店)で、自治体が特色を生かして切磋(せっさ)琢磨(たくま)すれば、自殺者数の減少ははるかに現実味を帯びると報告している。都道府県レベルの対策ならフィンランドの成功事例も適用できる
    ▼本橋さんは「安心して悩むことができる社会を」とも訴えている。自殺者をみんなで減らしていこうとする過程は、幸福な社会とは何かを考える過程と重なる気がする。
    2007年6月12日
     四十七年前の六月、国会周辺は市民や学生たちのデモで騒然とした。六〇年安保闘争だ
    ▼首相岸信介氏らは自衛隊の治安出動を考えた。が、防衛庁長官の赤城宗徳氏は「できません」。出動して流血の事態になれば、自衛隊は国民の敵になっただろう。赤城氏は周囲に「日米安保とともに、自衛隊の存在も守らないといけない」と言った。氏の孫で農水相の赤城徳彦氏が前に語った話だ
    ▼自衛隊は国民とともにある。そんな存在理由をあらためて教える話。被災地救援を見ても、自衛隊が国民を守るための組織であることを疑う人はいまい。だから、自衛隊のイラク派遣に反対の人を陸自の情報保全隊が監視して、「反自衛隊活動」などと記録したという文書の話は驚く
    ▼自衛隊の活動にどんな意見があるのか。そうした情報の収集自体は「けしからぬ」ものではなかろう。が、各紙の報道では、自衛隊の後援団体の会合で派遣に反対した民主党議員の発言を「反自衛隊活動」と記した事例があった。賛否両論の報道を「反自衛隊」と書いた記載も
    ▼「陸軍第一、国家第二」。暴走しがちな陸軍の思想を戦時そうたとえた人がいた。反省から戦後は政治が優位に立つ文民統制が機能し、自衛隊は政治的に中立のはずなのに、政治家や報道を「反自衛隊」と決めつける。これでは自由な意見の表明を萎縮(いしゅく)させかねず、民主国家とは言えない
    ▼中央省庁には時に「組織第一、国民第二」の姿勢が見えるが、自衛隊もそうなら由々しい。「日本は国民が主役の国」と常に考える組織でなければならない。
    2007年6月13日
     ジョージ・プリンプトン氏は四年前に他界した米国の著名なスポーツ作家。著書『ボギー・マン』で友人のこんな体験を紹介する
    ▼有名なゴルフ・トーナメントを観戦したとき。コースに設けられたトイレで用を足して外に出たら、そばでアーノルド・パーマーがクラブを振りあげようとするところだった。友人は慌ててトイレに引っ込んだ。するとパーマーがドアをノックして「出てきてくれ。こっちはべつに急がないんだ」
    ▼出れば大勢のギャラリーに笑われると考えた友人は「いや、お先にどうぞ」。パーマーの離れる音が聞こえ、周囲も静かになった。が、再びパーマーがドアを叩(たた)き恐縮した声で「あんたがその箱の中にいると思うと集中できないんだ」。友人はトイレを出て、爆笑につつまれた…
    ▼ゴルフ界の英雄パーマーでも容易ではない、コースでの精神集中。先の関東アマチュア選手権の喧騒(けんそう)を見たら英雄は何と言ったか。新星の石川遼選手が出場とあって多数のギャラリーが詰めかけ、競技中に携帯電話で写真を撮る人もいたという。中でも驚くのがTBSの取材方法だ
    ▼石川選手の声を拾うため同伴競技者に小型マイクの装着を頼んで拒否された。無断でヘリコプター取材を行い、競技の進行を妨げた。さすがに主催者側に謝罪したが、石川選手を「ハニカミ王子」なるタレントとして消費するかのようだ
    ▼競技を中断させて外に出たトイレの彼に、パーマーは困ったような真剣な顔で「邪魔してすまなかった」と謝ったとか。競技者も観戦者も敬意と礼儀が基本である。
    2007年6月14日
     <拾われたそうだと手燭(てしょく)外で消し>。江戸期の川柳集『誹風(はいふう)柳多留(やなぎだる)』にある作品だ
    ▼子宝に恵まれない夫婦が、街に捨て子があったと聞いて「拾って育てよう」と決める。夕闇迫る中を夫は出かけ、やがて火を消した手燭だけを持って帰って「誰かに拾われたそうだよ」。妻は「おや、そうかい。ちょっと残念だよ」と拍子抜けした様子だ…。渡辺信一郎さんの『江戸川柳』の解説である
    ▼庶民の生活の情景に加え、子どものいない夫婦の寂しさや子への慈愛が凝縮され、渡辺さんは「川柳点の最高傑作の一つ」と言う。きっと質素な暮らしだが、夫婦にはそれで十分。ただ子どもという宝を授かり、親となって、その愛情を注ぎたかったのだろう。人の素朴な願いというべきか
    ▼養老孟司東大名誉教授たちが都内で「『親になる』を考える会」の設立を発表した。親になる意味を積極的にとらえ直し、家族のきずなについて新しい価値観を提案して、少子化の流れを食い止めたいという。公開討論会などを開いていき、「親になるっていいよ」と若い世代に訴える集まりだ
    ▼今は多様な価値観がある。子どもを育てるには無論苦労もある。<子を持てるものは、其恩愛(そのおんない)にひかれてこそ苦労はすれ>と江戸期の俳人横井也有(やゆう)は書く。子どもへの愛情というものはだれの心にもあるはずで、子を持てば苦労にまさる幸福感を与えるのだろう。それを若い人にもっと知ってもらえればいい▼あの夫婦はその後、宝を授かっただろうか。川柳の話でも親子三人むつまじく暮らす姿を想像したくなる。
    2007年6月15日
     軽快な旋律に乗った愉快な歌詞は、何度聞いてもおかしみを覚える。男声コーラス「デュークエイセス」の演奏などでよく知られる、「筑波山麓(さんろく)合唱団」だ
    ▼マウントツクバのフロッグ(蛙(かえる))コーラス。セカンドテナーはアマガエルでベースはガマガエル、バリトンはトノサマガエルでテナーはカジカというメンバーだ。ケロケロ、ケケケなどと楽しくにぎやかなハーモニーを奏でる
    ▼<思ほえず来ましし君を佐保川のかはづ聞かせず帰しつるかも>。思いもかけずおでましくださったわが君をカジカガエルの声もお聞かせしないでお帰しした…という万葉集の歌である。古来、日本人は小さな生き物の声をも愛(め)でてきて、だから蛙の合唱団も実に日本的な歌なのだろう
    ▼昨日多くの地域が梅雨入りし、蛙の合唱団が場所によってはにぎやかすぎるくらい元気になる季節を迎えた。でも気になる話がある。国内の野生の蛙で初めてカエルツボカビへの感染が確認されたという。両生類を高い割合で死なせ、蛙などが世界的に減少している原因の一つとして報告されている
    ▼昨年末には飼育されている蛙で感染が分かった。蛙が大幅に減るようならこれを食べるヘビや鳥にも打撃が及ぶ。蛙が食べる害虫の増加も考えられ、弱った生態系に一層負担のかかる恐れも出てくる。環境省は今夏にも全国調査をする方針といい、今の合唱は警鐘のようにも聞こえる
    ▼その歌声がよもや仲間へのレクイエム(鎮魂曲)などにならないことを。ケロケロと、いのちの賛歌が聞こえる環境を守りたいものだ。
    2007年6月16日
     ♪君に逢(あ)ううれしさの 胸にふかく水色のハンカチを ひそめる ならわしが…。ふと口ずさむ方もいよう
    ▼昨年、百二歳で他界した作曲家高木東六(とうろく)さんの名曲「水色のワルツ」。空襲で家を焼かれ疎開した信州伊那で七年半暮らし、天竜川のほとりを散歩するのが日課となった。曲想が浮かんだのは散歩の途中で、一気に書いた譜面を作詞家の藤浦洸(こう)さんに送り、名曲が誕生した
    ▼後には名誉市民に選ばれるなど、伊那は高木さんの音楽人生にとって大事な土地。そこの女性のお年寄りたちが今度、高木さんの遺志を継ごうと合唱団を結成した。十一日の発足式と初練習には上伊那地方の六十歳から八十一歳までの八十六人が集まったという
    ▼「ザ・シワクチャーズ伊那」が合唱団の名前。高木さんは晩年、自宅のある横浜で女性のお年寄りたちだけの合唱団「ザ・シワクチャーズ横浜」を指導し、伊那はさながら妹分。初練習では高木さんの長女緑さんが講師を務め、八十一歳の女性は「大好きな歌が歌えて自分の場所ができたようです」
    ▼高木さんは九十四歳のとき「きんさん、ぎんさん」のきんさんを訪ねた。自分の合唱団の「応援団」に名を連ねてくれたお礼で、自分より年上のきんさんに感激し、手にキスをした。きんさんは翌年百七歳で亡くなって再会はかなわなかったが、「私も百歳まで頑張る」と高木さんの長寿の支えになったそうだ
    ▼今はお年寄りには大変な時代。それで一層天界の高木さんは「皆さんも百歳まで頑張って」と、合唱団に声援を送っているに違いない。
    2007年6月17日
     二人の娘の父親だった詩人の萩原朔太郎には「父は永遠に悲壮である」との警句がある。詩作に生きて家庭をほとんど顧みなかったという朔太郎の人生を思わず想像してしまう
    ▼今日は「父の日」。アサヒビールが全国の男女約千五百人を対象に行ったインターネット調査では、理想の父親像として「いざという時頼れる」と「家族思いで優しい」が複数回答で50%前後に上った。自分の父親の採点では平均点が六十七点で、八十点台の回答は全体の約20%。今の父親は評価されている方ではないか
    ▼朔太郎も実は理想の父親像に近かったのかもしれない。長女の故萩原葉子さんは「言葉を交わすことは、まったくないのだが、大きな愛は感じるので、いざという時は救ってくれると、思った」と書き残している
    ▼朔太郎に幸いしたのは、自宅で執筆していたことだ。葉子さんはその姿を見ることで文学の厳しさを感じ、父親を尊敬するようになったという。凡人に朔太郎のまねはできないが、働く姿を子どもに見せることは大事らしい
    ▼<おとうさんが湯から/あがってきた/ぼくがそのあとに入った/底板をとったら/すこし砂があった/ぼくたちのために/はたらいたからだ>。児童文学作家の故灰谷健次郎さんが「子どもの詩に見る父の像」と題した随筆の中で紹介した小学六年男児の詩だ
    ▼灰谷さんは「子どもは親の生活が、自分にしっかりつながってあるということを自覚したとき、この上なく優しい」と断言する。悲壮であるかないかは、ひとえに父親次第なのだろう。
    2007年6月18日
     行政で責任のある立場にいた人が回顧録を書く文化が日本には根付いていないが、歴史の検証には本来不可欠だろう。旧厚生省の外郭団体が二十年ほど前に発刊した『厚生年金保険制度回顧録』は、官僚の本音を知るうえで貴重な資料になる
    ▼証言者は元年金課長。社会保険庁長官や年金局長のOBである聞き手を前に、厚生年金の創設期に絡めて「基金や財団をつくれば厚生省の連中がOBになった時の勤め口に困らない」と回顧したかと思えば、「年金を払うのは先のことだから、今のうち、どんどん使ってしまっても構わない」と保険料流用の勧めとも取れる発言をしている
    ▼国会で取り上げられ、柳沢伯夫厚生労働相は「草創期には乱暴、粗雑極まりない議論があった」と過去の話であることを強調したが、そうは思えない。天下りと保険料の無駄遣いは今日的な問題。年金記録の不備の底流にも、国民の大事なお金を預かっているという意識の欠如を感じる
    ▼厚生労働省特有のことではない。最近では水門設備工事をめぐる談合で、国土交通省職員の関与が認定された。天下り先を確保するための癒着は、摘発された農林水産省所管の「緑資源機構」の談合と同じ構図だ
    ▼国有財産をめぐっては、財務省の有識者会議が有効活用を提言した。不要な施設の売却などで約一兆六千億円の収入を見込めるという。言い換えれば、税金をそれだけ無駄に使ってきたということだ
    ▼過ちを繰り返さないためにはどこを改めるべきなのか。徹底した検証が必要なのは、年金記録にとどまらない。
    2007年6月19日
     詩人の新川和江さんは子どものことを「歌」という詩の中で<いたいけな無防備なもの>と表現している。赤ちゃんは最たるものだろう。自分の意思ではなくてもこの世に生をうければ、いいことも悪いこともすべて降りかかってくる
    ▼親がどうしても守れないとき、どうするのか。子捨ての助長につながってはいけないが、命を救うための最終手段は必要と悩んだ末の結果が、熊本市の慈恵病院による「赤ちゃんポスト」(こうのとりのゆりかご)の設置だ。匿名で受け入れるが、新たに赤ちゃん二人が預けられていたことが分かった
    ▼開設初日には三歳程度の男児が預けられている。運用開始一カ月余で三人という数字は、関係者の予想を上回っている。運用の見直しを求める声もあるが、命が救われているという重みはある
    ▼子育てをする環境が予想以上に悪化しているとの解釈も成立する。赤ちゃんポスト設置と時期を合わせて熊本市が設置した相談電話には、一カ月間で昨年一年間分に当たる約百件の相談があった。慈恵病院の相談窓口には「虐待しそう」という叫び声も届いている
    ▼熊本市内では子育てが大変という話ではない。赤ちゃんポストの設置と同時に展開された「まず相談を」というキャンペーンが功を奏し、県外からの深刻な相談が少なくない。慈恵病院の蓮田太二副院長は「県外の自治体の相談窓口がうまく機能していない」「ゆりかごは県外でも必要」と問題提起している
    ▼動きだした「ゆりかご」は、何を警告しようとしているのか。社会全体で共有したい。
    2007年6月20日
     憲政の神様といわれる尾崎行雄は九十三歳で『わが遺言』と題した本を著している。無形の財産である知識や経験は年とともに増し、死ぬ前がもっとも豊富になる。故に最後まで利用の道を考えねばならぬ。これが尾崎の考え方だった。<越し方は今より後のしるべぞと/知れば貴し悔いも悩みも>という一首も残している
    ▼国会はいかにあるべきか。「遺言」に耳を傾けると、「打ちとけて国家全体のために懇談熟議すべき場所」と論じている。熟議とは「おのおの己の主張はあるけれども、それはごく穏やかに述べてお互いに譲る」ことを意味する
    ▼現在の国会を尾崎はどう論評するのだろう。会期末が迫る中、年金記録の不備に対応する特例法案や社会保険庁改革関連法案など、まさに重要法案をめぐり与野党が全面的に対立している。熟議の世界とはほど遠い
    ▼政府と与党の論理では、法案を成立させることが責任を果たすことになる。参議院における「数の力」で野党の抵抗を封じていくのだろう。安倍晋三首相には、下降した内閣支持率を反転させるには強い指導力を発揮することが必要、との判断があるのかもしれない
    ▼もちろん無制限で審議を続けるわけにはいかない。審議を尽くしたら採決を行うのは当然だ。しかし政府と与党は、衆院の七割から八割の審議時間を参院で確保することを採決の判断基準にしているという。それで審議を尽くしたとは言えない
    ▼参議院選挙も迫っている。国会で熟議できないことは、国民に直接判断を仰げばいい。小泉政権に例がある。

     

    小さなぼく


     
     夏休みを控えて、本格的な暑さを感じてくる7月、プレイステーション・ドットコムの注目ソフトは、爽やかな風を感じられるタイトルがそろい踏み。PLAYSTATION®3のビッグタイトル、7月5日発売予定の『ぼくのなつやすみ 3 -北国篇- 小さなボクの大草原』と、7月26日発売予定の『みんなのGOLF 5』(以上ソニー・コンピュータエンタテインメント)は、大自然に囲まれてひと足早く夏休み気分を楽しみたい人にオススメだ。どちらも、PLAYSTATION®3に舞台を移して登場する、人気シリーズ最新作なのも注目ポイントだ。PLAYSTATION®3の魅力を存分に味わうなら、7月26日発売予定の『湾岸ミッドナイト』(元気)も見逃せないタイトルだ。屋外で遊ぶ機会がますます増えるこの季節、PSP®ユーザーは同じ7月26日に発売予定の『サルゲッチュ サルサル大作戦』も要チェック!
     
     

    とりあえず3

    2007年08月06日(月曜日)
    【国語】 とりあえずといちおう
     「とりあえず」という言葉は非常によく使われる。口癖のように1分間に1回はそれを口にする人間もいるくらいだ。しかし、さて、どういう意味だろう、と真剣に考えてみると、これがなかなか説明が難しい。
     辞書によれば、「たちまちに」「たちどころに」という意味が載っているが、この意味での使用は現在あまり耳にしない。もう一つは「さしあたって」「まず」「いちおう」の意である。おそらく、多くはこちらだろう。でも、「まず」は「最初に」という意味だけれど、「さしあたって」と「いちおう」は、「とりあえず」と同じくらい意味の説明が難しい。英語に訳せといわれると難しいのが、「どうも」と「よろしく」と「とりあえず」と「いちおう」である。
     「とりあえず」には、「なにをおいても」「まっさきに」という時間的な緊迫に対応する積極性が感じられるものの、「じっくりと」「落ち着いて」やった確実なもの、正式なものではない、つまり「仮の処理」である、というイメージが込められている。これは「いちおう」にもいえるだろう。特に、年輩者にはこのイメージが強い。
     だから、「どうして我が社を選んだのですか?」と質問されたとき、「とりあえず、ここが第一希望でしたので」や「いちおう、貴社のポリシィに共感しましたので」のように、つい口癖で、「とりあえず」や「いちおう」を無意識でつけてしまうと、そのあとにいくら立派なことを言っても台無しになる。以前にも書いたが、就職の面接のときに、「とりあえず」と「いちおう」を口にしないように学生に注意するのはこのためである。それくらい、無意識に若者が使っているケースが散見されるからだ。
     修理をしてもらったときにも、「とりあえず、直りました」と言われると、若者は喜ぶかもしれないが、年輩者は納得しない。
    2007年08月14日(火曜日)
    【国語】 とりあえず2
     8/6に「とりあえず」について書いた。そのとき、触れなかったことがある。
     そもそも、どうしてこの言葉がこんなにまで多くの人に広まったのか。それは、「謙遜」の意味で使われていたからだ。ようするに、自分としては精一杯頑張ってことに当たったのち、それを「とりあえず、やりました」と控えめに口にするのである。そもそもの使用法はこれだったのだろう。「いちおう」においても同様である。謙遜に受け取られるような場面であれば、全然悪くない。どこにその境界があるだろうか、と考えてみた。
     目の前にもの凄く立派な作品がある。それを見た人から「凄いですね、これは貴方が作られたのですか?」と尋ねられる。「はい、とりあえず、作ってみただけですが」と答える。このような場合は、謙遜だとわかる。立派な作品が現に存在しているからだ。すなわち、行いが明らかに優れていることがわかっているときには、「とりあえず」や「いちおう」を使っても悪い印象はない。立派さが見えないような場合、あるいはその力がなさそうな人間が使うと、謙遜に受け取られない、ということだろうか。
     また、人に依頼する場合も、「とりあえず、なんとかしていただけないでしょうか」と言えば、「応急処置でも良いから、早く処理をしてほしい」という意味だが、これも、控えめにお願いしている場合が多い。つまり、本当はきちんとやってもらいたいのだけれど、そこまで強くは言わないのが礼儀だろう、という判断だ。素直に受け取って、「わかりました、とりあえずの処置をしておきましょう」では、相手はむっとするかもしれない。

    2007年10月01日(月曜日)
    【国語】 「微妙」の微妙さ
     「微妙」を広辞苑で引いてみよう。意味が2つ書かれている。「美しさや味わいがなんともいえず優れているさま」と「細かいところに複雑な意味や味が含まれて、なんとも言い表しようのないさま」と。前者の例として、「微妙な調べ」があり、後者の例としては、「微妙な関係」が挙げられていた。
     さて、しかし、最近の若者が使う「微妙」はこうではない。「新曲は、微妙だよね」といえば、あまり良くない、感心しない、ぱっとしない、今ひとつである、という意味だ。これでは、「微妙な調べ」と言っても、逆の意味に受け取られてしまうだろう。
     ちなみに、今、「ぱっとしない」ではなく、「ぞっとしない」と書こうと思ったのだが、この「ぞっとしない」も最近は別の意味に使われることが多い。もともとは、「感心しない」「今ひとつ面白くない」の意味だ(広辞苑にもそう書かれている)が、「そんなに恐くない」とか「悪くはない」という意味に使っている人がけっこういる。
     話を戻そう。「微妙」と同じ発音で、「美妙」がある。これは文字どおり「美しくたえなること」「麗しくなんともいえず優れていること」とある。つまり、「美妙」よりは、微かになっているが、やはり「たえなるさま」が「微妙」なのである。類似のものに、「絶妙」があって、こちらは、「この上なく巧みなこと」の意になる。
     「微妙」の意味が変化したのは、「微妙だけれど、面白くなかった」→「微妙に面白くなかった」となって、この後半が省略されたものと想像する。「微妙ですね」と聞いたとき、どちらに受け取るのかは、発言者の年齢や雰囲気から読むしかなく、いずれにしても微妙である。
    2007年09月15日(土曜日)
    【国語】 強調表現
     英語のveryのように、後ろの言葉を強調する表現が沢山ある。
     会話では、ついつい強調したくなる。「美味しいね」と言えば伝わることを、「凄く美味しいね」と言う。その方が、相手により気持ちが伝わるような気がするからだ。したがって、会話の場合には、一般に強調表現は過剰になりがちである。
     若い頃、自分の書いた論文を偉い先生に見てもらったとき、「こういった指摘は非常に少ない」や「この点に留意することが今後非常に重要となる」の「非常に」を削りなさい、と指摘されたことがある。「君は、どういう定義で『非常に』を使っているのか」と尋ねられた。以後、気にして使用するようになった。
     たとえば、「もの凄く美味しい」と「死ぬほど美味しい」はどちらが美味しいのだろう? 人それぞれ、ケース・バイ・ケースであるが、使いすぎて効果がなくなったものを使い捨て、どんどん新しい表現が生まれているようにも見える。
     思いつくものを挙げてみよう。
     とても、かなり、明らかに、非常に、絶対に、大いに、凄く、もの凄く、著しく、過激に、顕著に、素晴らしく、めちゃくちゃ、とんでもなく、限りなく、はてしなく、比較にならないほど、言葉にならないほど、宇宙的に、この世のものとは思えないくらい、びっくりするほど、おどろくほど、やみつきになるほど、最高に、一番、だんとつに、断然、空前絶後に、今までで一番、信じられないくらい、ありえないくらい、死にたくなるほど、死ぬほど、これらを全部合わせたよりもさらにもっと……。
    2007年09月10日(月曜日)
    【国語】 の授業 by 太田忠司
    「先生、教科書から『ら』が落ちました。ちゃんと見れません」
    「またですか。最近の『ら』は弱くなってしまいましたね。落ちた『ら』は拾って貼りなおしておくように。それと『見れません』ではなく『見られません』と言うようにね」
    「先生、『い』も落ちちゃいました。みんな混乱してます」
    「『い』も昔から弱い字でしたからねえ。強力な接着剤を用意しましたから、これで絶対に剥がれないようにしっかりと貼り付けてください。それから『混乱してます』ではなく『混乱しています』と言うように」
    「でも『混乱してます』でも意味が通じますけど」
    「駄目です! 私たちは正しい日本語を使うための授業を行っているのですよ。まったくおみゃあさんたち……いえ、君たちは自覚がなくて困ります」
    「先生、今度は『さ』がたくさん乱入してきました。これでは授業になりません。家に帰らさせていただきます」
    「待ちなさい、帰ってはいけません。『さ』を追い払えばいいことです。それと『帰らさせていただきます』ではなく『帰らせていただきます』ですよ」
    「わかりました。帰らせていただきます」
    「そうじゃないってば。帰っちゃ駄目なの。まったくもう、最近の国語はやりにくくていかんがね。まともに本も読めれん」
    「先生、それは『れ』が余分です。『読めん』が正しいです」
    「ええんだて! わしは名古屋の人間だで、昔から『読めれーせん』と言っとったの。そんだで『読めれん』でもええんだて」
    「でも僕らは正しい日本語を使うための授業を――」
    「名古屋弁が正しい日本語でにゃあだと? そんなことあらすか。どこのたーけだ、そんな言っとるのは。ここに出てこやあ。まーあかん、授業がわやになってまったがね。だゃあてゃあだな、名古屋弁はよお信長様の昔からニッポンの……」
    【国語】 べつにどちらでも良いことを
     「特に」「別に」「既に」のなかで、最近、「べつに」だけを平仮名で書くことにした。これは、会話などでよく使われる「べつに、どうってことないよ」「べつに、いいんじゃない」という場合の「べつに」に限る。「出口は別にある」という場合は漢字だ。明らかに、前者の「べつに」と後者の「別に」が意味が異なっていて、英語の「other」の意味がある場合は「別」という漢字を使おう、という方針である。
     このように、僕は、意味によって平仮名と漢字で表記を使い分けているものが多い。最近どんどん増えている。
     「間違った答」は漢字だが、「ここにまちがいない」は平仮名。「何をもらったの?」は漢字だが、「なにかもらったの?」は平仮名。「何でそうなるの?」は漢字だが、「なんでもそうなるの?」は平仮名。「貴方に従う」は漢字だが、「したがって、こうなります」は平仮名。「確かな答」は漢字だが、「たしか、こうだった」は平仮名。
     「特に」と「既に」は、この頃では平仮名で書くことが多いように思うけれど、僕は今のところ漢字を使っている。これは、学術論文の影響かも。意味としてはすべて同じなので、平仮名表記はしていない。でも、会話に現れる、「とくに、どっちでも」みたいな使い方は、「べつに」とほぼ同じであって、微妙だとは感じている。「既に」も、読めない人が多いから、どうしようかな、と迷うこともしばしば。接続詞は平仮名にするという大きなルールとの兼ね合いもある。
     とにかく、漢字か平仮名か、という表記の問題は、10年以上小説を書いてきて、未だに統一したルールを決められない、という場合が多く、結局は、個々に判断すべきものなのかもしれない。ただ、デビューした頃に比べると、どんどん平仮名表記が増えてはいる。漢字で書くようになったものは僅かだ。
     どちらでも良い。ただ、ルールを決めないと面倒だ、というだけの話。
    2007年08月27日(月曜日)
    【国語】 それほど
     最近、ちょくちょく見かける使い方だ。こんなふうである。「美味しいという噂を聞いて食べにいったが、それほどだった」
     もちろん、本来は「それほどでもなかった」と言っていたものであるが、省略されて短くなったらしい。否定文が消えたので、知らない人間が聞くと、「それほど」だったのなら、「噂どおり美味しかった」の意味だろうか、と逆に受け取る可能性は高い。そうではなく、「それほど」だけで、「それほどでもない」を表しているのである。会話だったら、通じるかもしれない。また、「それほど……、という感じだった」くらいの表現ならまだ通じる。
     こういった省略形の新語はどんどん出てくるし、やはり通じなくて広まらないものも多い。
     やや古いところでは、「なにげに」というのが広まった。「なにげなく」が本来だったのに、やはり否定の部分を省いて、意味はほぼそのままだった。不思議だ。
     また、ちょっとまえから、「微妙」という言葉が、否定的に使われている。「微妙だ」というのは、本来は、「美味しいか美味しくないか、微妙なところだ」というように使ったが、今は「微妙だ」といえば、「今ひとつ美味しくない」の意味で使われている。つまり、「微妙に~ない」の後ろの否定文を省いたわけで、上記の例と同じかもしれない。「世界一か日本一か微妙な味」といった場合、どちらの意味に取られるだろう。
     さらに「とんでも」も、「ない」を省いて用いられたものが散見される。たとえば、「とんでも系」のような使い方である。これは、もともとは「途でもない」つまり「途方もない」の意味だった。とすると「途方も系」と言い換えられるだろうか。そのうち、「もったい系」なんてのも登場しそうである。
     

    とりあえず2

    若い方々と議論をしていて一番気になるのは、枕詞のように「とりあえず」なる語を使われるときである。「とりあえず」には真剣さがない。「とりあえず」は、多様な選択肢のなかから、当り障りなく、間に合わせに何かを用意する表現にほかならない。
     ワタクシたちは、自らが選び取った現実を必死に生きている。日々、実存を賭けた勝負である。みたまえ、教室の子どもたちを。彼らを前にして、「とりあえず」勉強でもとか、「とりあえず」練習でもとか、いえるだろうか。安易な気持ちで使ってしまう言葉にこそ、人間性が問われ、社会性があらわれよう。国語の力を教養教育の前提とするのなら、このあたりの反省から出発するべきではないか。
     なくなっていく言葉もあれば、形を変えながら生き残っていく言葉もある。極端な例だが、「世の中」が「男女の仲」を意味していたのは平安朝であって、いまでは「世間」そのもの、「社会」自体を指す。この意味内容変化は、女性の王朝的世界観が変容し、より広い価値を賦与され、発展して元の意味が「廃れた」結果である。この解消はいい。一方、国語審議会がカタカナ言葉を誰にでもわかりやすい日本語表記にと注意するのは、日常、カタカナを使って半分以上をしゃべるわけでもないのだから、滑稽といえば滑稽であろう。こうした言葉狩り的態度をワタクシはとらない。不問である。
     わかりやすい言葉使いにはおおいに賛成であるものの、和語にするには難しい言葉もあるだろう。世代を乗り越え正確な意味伝達をはかろうとしても無理が生ずる。インターネットプロトコルという言葉の意味を高齢者に理解せよといっても無謀なのは、ワタクシの両親で実証済である。プロバイダのテレビCMをみてさえ、意味がわからぬとこぼしているのである。それをたとえば「新型情報供給電子的回線会社」(でいいのか?)と和語に置きかえられたとして、どれほどの効果があるのか。
     さて、「とりあえず」の意味が、肯定的な意味に転化することがあるのであろうか。千年経ってもない、と信じたい。変わるとすればそのときは日本語が表現伝達機能をなくすとき、つまり、日本が亡くなるときである。
     現時点で、みなさんを前にして「とりあえず、教採試験でも受けよか」という奴がいたら、ワタクシが飛んでいって殴ってやる。ただ、居酒屋でビールを頼むときだけ、この言葉の使用を許すとしよう
    病院で「とりあえず」はご勘弁
    「とりあえず薬」と薬くれる病院は「とりあえず」という程度の治療の気がする
     
    --------------------------------------------------------------------------------
    http://homepage2.nifty.com/medamacafe/J/tori_kotoba.htm
    「とりあえず」の似合う場面
    なじみのメンバー3人で居酒屋へ。
    「へい、らっしゃい!ご注文は?」「ビールだよな。」「おう。」「おう。」
    「お兄ちゃん、とりあえずナマでみっつ!」「へい、とりあえずナマ三丁!」
    「とりあえず」の似合わない場面
    バイクでトラックと衝突!5m吹っ飛んで起きると足に激痛。派手な傷からは血がダラダラ。「俺はこのまま死ぬのか?」...やってきた救急車。救急隊員のお兄さんはニッコリと言う。「ま、とりあえず足には包帯まいとくからねー、病院まで30分、がんばりましょーね。」「ば、バカヤロー、『とりあえず』じゃ俺は死ぬぞー!」....遠のく意識。果たして病院まで命はもつのだろうか。
     
    --------------------------------------------------------------------------------
    ●「とりあえず」に囲まれた生活
    筆者平野だけなんでしょうか、この10年で「とりあえず」の言葉が周りにやたら増えたと思うのは。コンビニ行っても病院行っても仕事の会議でも、雑誌の記事でも、誰も彼もが、言葉のあちこちに「とりあえず」をまきちらしております。「とりあえず100枚限定です」「とりあえず話題モノということでして」「とりあえずチェックに買ってみたんで」「とりあえず土曜しめきりでして...」...もうやめてくれ。別に使うなとは言ってません。しかし。真剣に仕事をしている場面だとか。サービス業で客に話す時だとか。金の行方がわからなくて弁解する場面だとか。そんな場面で「とりあえず」と言ってるやつら。なんであんたはそんなに「とりあえず」でごまかそうとするんですかい。え。病院の医者やら看護婦やら。「とりあえず今日はこのお薬で様子見ましょうね」ってのは、つまり診断も治療も薬もなげやり、ていうことかい。今日はおさまるけど明日はどうか知らないよ、ていう意味じゃないのかい。
    ●病院の職員は「とりあえず」は使っちゃいかーん!!!
    ということで筆者平野は、1997年から病院の仕事では絶対に「とりあえず」は口にしないと自分で誓いました。患者に真剣に検査したり薬出すのに「とりあえず」なんて失礼な言葉はとうてい使えません。病院で「とりあえず」と言われるとイヤだという声もききました。これを口にする医者は周りでゴマンといますが、俺だけはこうはならんぞと密かに思っております。いや病院に限らずサービス業なら「とりあえず」は使っちゃいかんです。だいいち僕が店員から言われた時に気持ち悪い。僕の職場、「ひらの眼科」では何度も職員に「とりあえず」は使っちゃいかんと教育してます。

    ●「とりあえず」を100回唱えてるとアホになる
     では仕事以外なら「とりあえず」を使うのか?いや、これも自分では控えてます。「とりあえず」を口にしている間は、「なぜか?--理由はこうだ」というスジの通った思考がパッタリと止まっているからです。言葉は思考から生まれるが思考はまた言葉で作られる、とかいう意味のせりふを昔どここかでききました。そうです。「とりあえず」を唱えてるあいだはどんどん頭がふやけてアホになっていくんです。「とりあえず」を使うたびにボケていくに違いありません。
     
    --------------------------------------------------------------------------------
    3人で居酒屋、その後
    「へい、お待ち!『とりあえず』とビールみっつですね。」
    「え?何これ?」「当店名物メニュー『とりあえず』天ぷらスペシャル大盛り9800円でございます。」
    「そ、そんなモン頼んでないぞ!」「ご不満ですね。ヒッヒッヒ。はい怪力マネージャーさんどうぞ!」怖そうなマネージャー登場。「お客様何かご不満ですかい?...奥で話をききましょか。広島湾に浮かびたい?」「あ、す、すみません.....何でもありません...ひええええ」ということで『とりあえず』には気をつけましょうね皆様。 
    亀田史郎が連発していた「とりあえず」ってどうゆう意味ですか?
    「とりあえず、生ビール」
    という感じで、考えるのがめんどくさいから延髄反射のレベルで出る言葉です。
    ボキャブラリーが足りない人が良く使う言葉なので、特に意味を認識しながら使っているわけではないように思われます。
    もし本人が、本当に【とりあえず】=【急場しのぎで】の意味で発言していたのなら、<謝罪会見>ではなく、
    <やれって言われたからしょうがなくやった会見>になりますね。
    長男興毅にあてた手紙の中でも「前へ」を「前え」と書いたり、
    三男和毅の出生届を出す際にも「知」を「和」と間違えて提出してしまったり
    (そのため、本来「知毅」のはずが「和毅(ともき)」と…。)
    こんな方ですから、国語をもう少しちゃんと習っていれば
    会見での「とりあえず」という言葉も少なかったかもしれませんね。
    哲学者ハイデッガーの「さしあたり」と同じです。大した意味はありません。
     

    とりあえず

    とりあえずの言葉
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    とりあえず諸君へ(とりのうた)   かざみどりのように 
    とりとめもなく
    とりあえず とりあえず 
    生きてきた
    ある日 蚊取り線香のうずが
    灰になるように
    とりもどせない
    自分の時を 思った
    他人に 取り越し苦労して
    とりつくろっては
    きたものの
    いつも あとにとり残された
    自分が いた
    自分の青い鳥
    とりにがすのも自分
    とりあえず とりあえずが
    いつか そのうち 命取り
    自分の足取り 確かに感じて
    鳥のように 自由に
    色とりどりに 生きてゆきたい 
    生きてゆきたい 
    --------------------------------------------------------------------------------
     いつの頃か、日本語の中に”とり”という音(おん)が沢山あることに気づいた。またとりあえずという言葉が、やたら耳につくようになった。今、そのとりあえずが本来の意味を越えて、現代人の生き方を象徴する言葉に進化してしまっている気がして このような歌が 私の中から おのずと生まれた。
     自分も ある時まで とりあえず生きてきた口なので、 そのむなしさ、 不安、苦しさも一応わかるつもりだ。
     しかし 本当のところは、 人生は とりあえずではない生き方を 探す旅でもあるのだ。 が、 その旅の途中で その目的が いつの間にか とりあえずの目的に すりかえられてしまうことがある。
     又、 とりあえずではない生き方なぞ ないとあきらめて、 とりあえずの生き方に 甘んじてしまう人もいる。 現代では そういう人種が 日本列島をおおっている。 世界で最たる高度成長を成し遂げたと思いきや、 じつはバブルという蜃気楼の世界を つくりあげたのも 彼らである。
     しかし、 ここに一人、 とりあえずではない代表選手がいる。
    中坊公平、 その人である。
     バブルの先駆け、 住専七社が 十三兆円もの負債を抱え、倒産した時、その後始末を引き受け 政府や銀行を向こうにまわし、 自分を絶体絶命の立場において 司法の理念を具現的に貫き通した弁護士さんである。
     「中坊公平の人間力」という本を読む時、 とりあえずではない生き方が現に存在すること、 そういう生き方での 「個」の力は大きく、 組織や権力にも対抗し得る強さをもつことなどを、 実践という裏打ちを通して 私達は教えられる。
     彼は、 国民の側に立って司法を生きる者として、 司法の世界とは日常かけ離れて暮らす私達に 自分達が知らずに持っている宝を大事にしろと言う。 すなわち、 憲法の三大原則である国民主権、 人権擁護、 平和の中でも、 「国民主権」は 人類普遍の原理であり、 一切の憲法、法令、詔勅をもってしても 変えることはできないと言う。 彼は、 この伝家の宝刀を 正しく理解し、 よりよき 社会実現のために活用すべきだと、 国民主権の実質化運動を勧める。
     とりあえず諸君へ。 自分の顔がなくなったり、 のっぺら坊になったりするほど情けないことはない。  その前に一歩を踏み出そう。 
     

    中秋の名月マーク

    留恋依旧 が 2007/09/25 11:24 に送信しました:

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    神田川

    神田川

     

    貴方は もう忘れたかしら

      赤い手拭い マフラーにして

      二人で行った 横丁の風呂屋

      「一緒に出ようね」って 言ったのに

      いつも私が 待たされた

      洗い髪が芯まで冷えて

      小さな石鹸 カタカタ鳴った

      貴方は 私の身体(カラダ)を抱いて

      「冷たいね」って 言ったのよ

     

      若かったあの頃 何も怖くなかった

      ただ貴方のやさしさが 怖かった

     

     貴方は もう捨てたのかしら

      二十四色の クレパス買って

      貴方が描いた 私の似顔絵

      「うまく描いてね」って 言ったのに

      いつもちっとも 似てないの

      窓の下には 神田川

      三畳一間の 小さな下宿

      貴方は 私の指先見詰め

      「悲しいかい」って 聞いたのよ

     

      若かったあの頃 何も怖くなかった

      ただ貴方のやさしさが 怖かった

    新華網記事

      走近日本看日本人:"天生"爱集体 忍耐之心尤坚 

    2007年07月27日 20:30:43  来源:世界知识 

     

     

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        在留学日本时的一次讨论课上,老师写下家人、公司、亲戚、朋友几个词,让我们按重要程度排序。中国学生的排序是:家人、亲戚、朋友、公司。日本学生的排序是:公司、家人、朋友、亲戚。美国学生的排序是:家人、公司、朋友、亲戚。看似简单的排序,实则反映出内涵很深的文化差异。中国人的排序,很明显体现出中国人家族本位的文化特征和思考方式。同为亚洲国家的日本人的排序显然体现出集团本位的思考方式。而美国人的思考方式似乎介于中国、日本之间。这个结果耐人寻味。因为,我们有足够的理由相信,深受中国儒家文化影响的日本人应该比大洋彼岸的美国人更像"我们的亲戚",事实却非如此。这种想当然的感觉恰恰是我们在同日本人打交道时"错位"的原因之一。

     

        我们对于近邻的研究很多,特别是作为大众媒介的电视、广播、报刊,经常会有关于日本人的各种消息,这些消息中总是渗透着我们自以为是的对日本人的理解。有着古老历史积淀的中国人在对异文化认知上,经常是在不自觉状态下出现认知的盲点。尽管,地球正在成为"地球村",但知己知彼仍旧是清楚看待问题的前提。

     

        关于日本人的基本性格,美国当代著名人类学家本尼迪克特的研究堪称经典。她在《菊与刀》中写道:"日本人生性极其好斗而又非常温和;黩武而又爱美;倨傲自尊而又彬彬有礼;顽梗不化而又柔弱善变;驯服而又不愿受人摆布;忠贞而又易于叛变;勇敢而又懦弱;保守而又十分欢迎新的生活方式。"美国社会心理学家拉巴瑞则从人类学的观点研究了日本人的性格特征,即:谨慎、固执、独善其身、常怀感谢之心、狂信性、傲慢、易受伤害、完美癖、爱干净、规矩、虐待与受虐、玄学性。拉巴瑞认为,日本人有"对社会关心、集团主义倾向、顺应主义、相互主义"等行为特征。这些评价,日本人是不是认同?就像我们总是认为中国"地大物博,人口众多",中国人"勤劳勇敢"是真理一样,如果听到不是这个结论,我们定会觉得他民族不够友好,甚至是在诋毁我们。从这个意义看,我们是不是也该看看日本人怎么看待自己?

     

        "天生"爱集体、爱秩序

     

        日本民族形成、发展的历史条件和日本的地理条件决定了日本人有一种"置于死地而后生"的决绝,也有考虑问题缺乏大度的偏狭。这一点,日本人自己是承认的。日本人能够把"小我"融入"大我",为了集团利益能够牺牲个人利益。乍一接触日本人,觉得他们毫无个性,简单的问题也没有答案。比如,你问日本人:"你的孩子学习怎么样"?他们通常会支支吾吾地告诉你:"孩子嘛,都一样"。

     

        日本人很少谈到抱负,更是鲜有公开表达个人意见的举动,他们也不喜欢出风头的人。对于这样的民族性格,用"谦虚"做定义也是欠准确的。

     

        日本人从小就会被灌输"不要给人添麻烦"的理念。所以,日本人对秩序的"敬仰"仿佛与生俱来。"兄弟结婚以后就是他人"、"朋友之间借了钱就不是朋友",这类"绝情"的话让人觉得日本人"冷酷"。日本人既然崇尚不给人添麻烦,自然也就怕他人给自己添麻烦。他们那种"律己到牙齿"的份儿,不知道该不该称为"文明"?我们经常为国人不好好排队、做事情不守规矩而"头疼"不已,并将其归结为国民素质问题。亲身体验日本社会,人们会发现日本人爱秩序已然成了习惯。

     

        在地震中,当一个日本人先逃生后,他居然会对着废墟里急需救援的人说:"很抱歉,我先走一步,祝你好运"之类的话,然后,跑到指定的"避难所",把营救亲人的事情交给警察。看到这样的场面,我们会觉得日本人既狠心又虚伪,还很莫名其妙,既然自己都跑了,还奢谈什么"抱歉"?换了中国人,不来一番哭天抢地般的营救,那还算是"人"吗?就这个问题求教于日本人,他们说:"地震中很危险,自己不是专业救护人员,与其徒劳无益地救援,不如自己先逃生更合理,损失也更小。"面对问题,我们想的是情感,而日本人更多的是思考现实的合理性。


     

        二战结束后,面对即将占领日本的美军,为了保护更多的普通日本妇女免遭可能面临的性侵害,日本高层竟然能够专门召开内阁会议讨论紧急从日本各地招募妓女,在美军驻扎的周边设置一道又一道的"妓院防线"。这种做法自然是从秩序性、合理性、集体性的角度来考虑问题的。

     

      倡导"专业精神"

     

        不在日本社会生活,还真的很难理解日本人的"专业精神"。他们每年都在各个行业评比谁做得更专业,无论是开面店的,还是做点心的;无论是打扫卫生的,还是卖东西的,只要干一行,就要追求专业精神。这恐怕也是日本产品、日式服务能够被普遍认可的主要原因。记得留学的时候,日本人批评留学生不敬业,举例说留学生打工时,刚把面放到锅里,看看到了下班时间,给周围人交代一声就走,决不肯多干几分钟,把面煮好端给客人,总是喜欢耍心眼,玩花活,缺少敬业精神。日本人非常讨厌耍滑头的人,喜欢敬业的人。这是日本人从小被培养起来的价值观。

     

        如果你问日本妇女做什么工作,她会告诉你"专业主妇",翻译过来就是家庭妇女。而中国妇女被问及同样的问题,回答多半是"没有工作"。乍一听,会认为作为家庭妇女,中日两国女人肩负的"使命"应该差别不大。但正是"专业"二字的差异,还真就不同。日本家庭主妇不仅任劳任怨,而且很"敬业"。每天早上第一件事情是花很长时间化妆,穿戴整齐漂亮,每天都能够保持"饱满的生活热情"。她们对待丈夫,就像对待工作对象,耐心、热心、诚心、关心,很让中国妇女显得"服务精神"欠佳。

     

      强者哲学

     

        由于日本独特的地理特征,日本人一出门就是茫茫太平洋,身边又有中国、俄罗斯两个"超级巨人"相伴,想想也是挺难为日本人的。日本人从来都很勤劳、有危机意识和富有侵略性。日本人认为尊崇强者、欺凌弱者是天经地义的。在二战中,美国人曾经毫不客气地扔了两颗原子弹,并对东京进行了近乎于毁灭性的轰炸,但日本人好像并没有耿耿于怀。我们一天到晚耳提面命般地提醒日本人正视历史,不要参拜靖国神社,他们却置若罔闻。

     

        我想如果有一天中国像美国一样强大,日本人也就不会这么较劲了。我们对待弱者是同情的,对待强者是心态复杂的。日本人与我们正好相反,真的比他们强,他们还就真的尊重你。所以,在日本人眼里,要想获得尊重就得自强。我有次看电视报道,一个中学生被欺负后跳楼自杀。就这个问题与日本人讨论,他们居然镇定地觉得没啥了不起的,理由是谁让他弱。

     

        从日本强国历史的脉络中,也可以看出日本人对于强者的向往和追求。隋唐之时,中国强大,日本人向中国派遣使者,全方位学习中国。近代以后外国人的洋枪大炮,打醒了日本人,日本人看到自己曾经仰慕的中国老师也被打得七零八落,于是,开始变革维新,完成"脱亚入欧"。从日本的文字、建筑、生活习惯……很容易发现日本人有善于向强者学习的痕迹。

     

      感恩之心常挂嘴边

     

        日本人对帮助自己成长起来的人都会感恩的,而且将来也可能在他们有困难时答应他们的请求,或者对他们身后的亲属给予特别照顾。人们必须不遗余力地履行这种义务,而且这种恩情并不随着时间而减轻,甚至时间愈久,恩情越重。每年的"中元"节就是全日本感恩大行动。知恩图报是日本人的基本价值观。

     

        也许正因为感恩是日本人生活中的重要内容,因此受恩就变得不再平常。日本人不喜欢随便受恩而背上人情债。日本人对大街上发生的事故一般不大理睬,并非是缺乏主动性。日本人认为,除了官方警察以外,任何人随便插手都会使对方背上恩情。明治维新以前,有一条著名的法令:"遇有争端,无关者不得干预。"在这种情况下,如果不是有明确的职责而出面帮助,会遭人怀疑是不是另有他图。既然知道帮助别人会得到感恩领情,所以也就会非常慎重地对待涉及感恩的问题。对于卷入"恩情",日本人是十分小心的。

     

        对于日本人处处显露出来的感恩,我们其实不太习惯。觉得既然做了好事就不要图报,感恩更好,不感恩也没啥。看似我们的想法很高尚,但难以持久。因为,人终究不是神。

     

      忍耐之心尤坚

     

        日本的岛国文化,导致日本人不得不依靠团结的力量才能够实现追求的目标。团结的基础在于协作。为了保持在人口密度过大下彼此相安无事,协作和忍耐都要有很高的要求。不管私下有多少矛盾,在一致的利益下,日本人会表现出超人的协作和忍耐精神。

     

        日本人从小就被教育要忍耐。看到日本幼儿园老师告诉站在美食边上的孩子"要忍耐几分钟后再吃",我们会觉得很不可思议,甚至觉得对饥饿的孩子是"残忍"。这种压抑教育,在礼仪的氛围中,经过长期的修练,养成了日本人无以伦比的忍性和超出寻常的冷静。日本电影《人证》里道貌岸然、风度娴淑的母亲不动声色、干净利索地杀死了从异国远道而来寻找自己的混血儿子后,还能够平静地出席庆祝晚宴,可以看出日本人的忍韧。

     

        在地铁里,早晨的日本和夜晚的日本实在是大不同。随着太阳的升起,清晨的日本地铁里挤满了西装革履、斗志昂扬、彬彬有礼的公司职员。夜晚的地铁里满是酒气,那些白领们脖子上的领带松弛着,东倒西歪地勉强站立着,让人无法把两个场面想像成是同一群人所为。甚至喝醉酒的人还会当街小便……日本人平常沉默寡言,表情冷淡,受着各种各样的压抑和委曲,可一到紧急关头却能挺身而出创造奇迹。忍耐、成熟和偶发的孩子气能够在日本男人身上完美组合,也是其他民族中少见的。

     

        短短小文其实很难把对日本人的认识写清楚。总的来说,日本人能够清楚个人的责任和义务,知道自己的定位,能够做到吃苦耐劳。我认为中国人如果真的有日本人那种学习精神和务实态度,中国让世界刮目相看是可以期待的。写这篇文章的时候,我也想过或许会挨骂的种种可能,在中国,大家都怕带上"亲日派"的帽子。有一点挺奇怪的,中国人对待"亲美派"不知比"亲日派"宽容多少倍。(王欢)

    January 15

    しめ縄

    (わが家のミカタ歳末スペシャル)今年もシメます:前編 しめ飾り、ルーツに謎
    2007年12月24日
     「しめ飾り、ウチのは普通だよ」。しかし、全国2000種類以上…
     お正月の玄関には、やっぱ「しめ飾り」でしょ。それは家内安全と五穀豊穣(ごこくほうじょう)をもたらす年神様(としがみさま)を迎える飾り。ところが、形は地域でまちまち。しかも各地の玄関でかけるようになった経緯も、イマイチはっきりしないミステリアスな存在なのです。そこで歳末のわが家のミカタは特集「今年もシメます」。(神田剛)
       *
     東京都杉並区のグラフィックデザイナー森須磨子さん(37)は、しめ飾り研究家としても知られている。この10年ほどの年末年始は、地方のしめ飾りを探し求めて一人旅。宿の人に傷心旅行と勘違いされ、やたらと気を使われるのにも、もう慣れた。
     1年のうち、しめ飾りを探し歩けるのは、この時期だけだ。数日間の旅では可能な限り多くの街を訪ね、年末は露店で買い、年明けは家々に飾られたものを写真に撮る。
     時刻表片手に、乗り換えの合間にも街を駆ける旅は、西村京太郎サスペンス顔負け。東北地方を回って元日未明に帰宅。2日の朝には京都へ向けて出発したこともある。
     体力的には相当キツい。しめ飾りでパンパンの袋をかついで雪道で転倒。散乱した中身を独り拾い集めた時はさすがにヘコんだ。だって重いんだもん。涙が出ちゃう。
     高校の時から興味を持ち、今や自宅には200個の現物と2000種類の写真がある。成果の一部は今月、絵本「たくさんのふしぎ」(福音館書店・08年1月号)にまとめた。
     でも、旅先で会う人の多くは不思議そうに言う。「しめ飾り? ウチのは普通だよ」
     いえいえ、一体何が普通かわからないほど、形のバリエーションは多いのだ。
     綯(な)う、撚(よ)る、編む、組む、結ぶ、束ねる、巻く。わら細工は、たった七つしか手法がないのに、農家の人たちの手が生む形は、「山ひとつ、川1本越えて異なることも。私が見たのもまだ一部です」。
     ゴボウやダイコン、縄状や輪っか状が基本形だが、細部はばらばら。金沢には亀型、宮崎は鶴型とおめでた系アニマルも。「柿食えば」の法隆寺がある奈良は干し柿付き。北海道ではわら代わりにスゲで作られ、高知はウラジロの葉がなぜか表向きで緑色だ。
     森さんは、広島市内のしめ飾りにはない御幣が、厳島神社のある宮島には不思議とついていることにも気づいた。
     「そりゃ神の島だから」。地元のおばちゃんはこともなげに言ったが、正確なルーツは不明。実は、このよくわからないところも魅力なのだ。
     古事記には、天照大神(あまてらすおおみかみ)が再び岩戸に隠れぬよう「尻久米縄(しりくめなわ)」を張ったとある。平安時代の土佐日記にも、正月に家を縄で囲む下りがある。だが絵がない分、今のしめ飾りになる過程がよくわからない。
     各地に広がった経緯もそうだ。江戸時代から飾っていた所もあれば、明治時代に東京から持ち帰って広がったという所も。一般化したのは戦後という所だってあるのだ。
     伝統であり、変化を続け、今も存在感を放つ。生活や住宅が変わっても、森さんにはしめ飾りが「消えそうで消えない文化の種火」と映る。
     そんな種火を絶やさぬ人のお話は、来週の回でご紹介。

    (12月18日付け朝刊26ページ 生活2)
    January 10

    和泉書院

    『日本人と中国人とのコミュニケーション』
     「ちょっと」はちょっと…ポンフェイ博士の日本語の不思議』
    彭 飛著 定価1,050円(本体価格1,000円)
    四六並製・カバー装 207ページ ISBN4-7576-0363-0
    全国学校図書館協議会選定図書
    ●「一応、結婚しました」
    ●「外国人」って「向こうの人」?
    ●「先輩」には故人の意味も
    ●「気持ちの整理」とは何を片付ける?
    ●「呉服を着る」とは言わない
    ●「妻蒸発」は残酷殺人?
    ●「上様」の説いろいろ
    ●中国の結婚式では「寿」は使わない
    などなど、中国語を母語に持つ著者が、ことばの習慣の違いからくる誤解や摩擦について、身近な例を通して、誤解が生まれるメカニズムの解明に踏み込む。読者と共に異文化理解、多文化社会について考える一冊。
    〔内容目次〕序章 来日当初の体験談/第1章 日本語、不思議発見 外国人を悩ませる「ちょっとした」表現 ①「いわば、ひとつの」枕ことば ②「ちょっと」は百面相 ③「気配り」は日本語の必需品 ④日本語には「ぼかし」が入っている ⑤ファジーな仮名表記 ⑥「おかげさまで」は、誰のおかげ? (コラム)「気配」こそが日本の文化 山折哲雄名誉教授(宗教学)に聞く/第2章 漢字の落とし穴 知ると知らぬでは大違い ①「酒」は酒でも…… ②「先生、われわれは不良少年ですか?」 ③「運動」と「活動」はどう違うのか ④香港はなぜ「ホンコン」と呼ぶのか ⑤「呉服」って中国の服ですか? ⑥領収書の宛名は、なぜ「上様」なのか? ⑦「日本語、ここが難しい」 インタビューから (コラム)謎がいっぱい訓読、和製漢語 毛利正守教授(国語国文学)に聞く/第3章 中国と日本、くらべてみれば 習慣の違いによる泣き笑い ①「九」はめでたい数字? それぞれのタブー ②「食べる」縁起もの 中国と日本の習慣と食文化 ③「いつ身を固めるのですか」 「寿」と「喜」の習慣 (コラム)日本の中華料理と中国の中華料理 松本秀夫教授(中国料理研究)に聞く/終章 日本人と中国人とのコミュニケーション
    January 09

    阿久悠

    シングル売上枚数
    これまでに発売されたシングルの総売上枚数は6,818万枚で作詞家歴代1位。2位以下に大差をつけている。[2]
    1位 - 6,818万枚 阿久悠
    2位 - 4,946万枚 松本隆
    3位 - 4,216万枚 小室哲哉
    (オリコン。2007年8月6日付現在)
    また、阿久悠が作詞した曲のシングル売り上げ枚数上位は、1位「UFO」、2位「サウスポー」、3位「北の宿から」である。

    [編集] 日本レコード大賞
    日本レコード大賞での大賞受賞曲は作詞家として最多の5曲。(1976~1978は3年連続受賞)
    1971年「また逢う日まで」尾崎紀世彦
    1976年「北の宿から」都はるみ
    1977年「勝手にしやがれ」沢田研二
    1978年「UFO」ピンク・レディー
    1980年「雨の慕情」八代亜紀
    (2007年現在)

    [編集] 日本レコード大賞・作詩賞
    日本レコード大賞の作詩賞受賞は7回で最多記録(2007年現在)。
    1973年「ジョニィへの伝言」ペドロ&カプリシャス。 「じんじんさせて」山本リンダ
    1975年「乳母車」菅原洋一
    1985年「夏ざかりほの字組」Toshi & Naoko(田原俊彦・研ナオコ)
    1986年「熱き心に」小林旭
    1990年「花束(ブーケ)」八代亜紀
    1994年「花のように鳥のように」桂銀淑
    1996年「螢の提灯」坂本冬美
    [編集] 日本作詩大賞
    日本作詩大賞は8回受賞。日本レコード大賞作詩賞と同じく、最多記録となっている(2007年現在)。
    1974年「さらば友よ」森進一
    1976年「北の宿から」都はるみ
    1977年「勝手にしやがれ」沢田研二
    1981年「もしもピアノが弾けたなら」西田敏行
    1982年「契り」五木ひろし
    1984年「北の螢」森進一
    1988年「港の五番町」五木ひろし
    2002年「傘ん中」五木ひろし
    [編集] チャート1位独占
    1977年6月20日付のオリコンシングルチャートで、阿久悠作詞の「勝手にしやがれ」(歌・沢田研二)が首位を獲得する。それ以降、12月5日付首位の「ウォンテッド」(歌・ピンク・レディー)まで、25週連続で阿久悠作品が首位を獲得。ほぼ半年にわたり首位を取り続けるという前人未到の記録を打ち立てた。
    またこの年は他に、「北の宿から」(歌・都はるみ)、「青春時代」(歌・森田公一とトップギャラン)なども首位を獲得。阿久悠作品は年間39週(約9ヶ月)首位を獲得した。

    [編集] チャート独占
    1977年12月5日付けのオリコンシングルチャートでは、阿久悠作詞の楽曲が100位までに16曲チャートインした。
    1位 - ピンク・レディー『ウォンテッド』
    4位 - 沢田研二『憎みきれないろくでなし』
    9位 - 岩崎宏美『思秋期』
    12位 - Char『気絶するほど悩ましい』
    16位 - 石川さゆり『暖流』
    19位 - 石川さゆり『津軽海峡・冬景色』
    23位 - 森進一『東京物語』
    26位 - 沢田研二『勝手にしやがれ』
    33位 - 新井満『ワインカラーのときめき』
    39位 - ピンク・レディー『渚のシンドバッド』
    42位 - ささきいさお『宇宙戦艦ヤマト』(アニメソング)
    45位 - 西城秀樹『ボタンを外せ』
    48位 - 石川さゆり『能登半島』
    69位 - ギャル『薔薇とピストル』
    70位 - 森田公一とトップギャラン『過ぎてしまえば』
    95位 - 清水由貴子『ほたる坂』
     
    「北の宿から」

    阿久 悠 作詞
    小林亜星 作曲

    あなた変わりは ないですか
    日毎寒さが つのります
    着てはもらえぬ セーターを
    寒さこらえて 編んでます
    女心の 未練でしょう
    あなた恋しい 北の宿

    吹雪まじりに 汽車の音
    すすり泣くよに 聞こえます
    お酒ならべて ただ一人
    涙唄など 歌います
    女心の 未練でしょう
    あなた恋しい 北の宿

    あなた死んでも いいですか
    胸がしんしん 泣いてます
    窓にうつして 寝化粧を
    しても心は 晴れません
    女心の 未練でしょう
    あなた恋しい 北の宿
     
    『また逢う日まで』
    歌:尾崎紀世彦
     
    また逢う日まで
    逢える時まで
    別れのその訳は話したくない
    なぜか寂しいだけ
    なぜかむなしいだけ
    互いに傷付き全てを無くすから
    二人でドアを閉めて
    二人で名前消して
    その時心は何かを話すだろう

    また逢う日まで
    逢える時まで
    あなたはどこに居て何をしてるの?
    それは知りたくない
    それは聞きたくない
    互いに気遣い昨日に戻るから
    二人でドアを閉めて
    二人で名前消して
    その時 心は何かを話すだろう
    二人でドアを閉めて
    二人で名前消して
    その時 心は何かを話すだろう
     
    「勝手にしやがれ」(1977)
    歌:沢田研二
    第19回日本レコード大賞(昭和52年) 大賞作品

    壁ぎわに寝返りうって 

    テープをきいている

    やっぱりお前は消えてくんだな
    iPodばかりじゃないと
    想い出かき集め
    鞄につめこむ気配がしてる
    データ好きならしあわせになるがいい
    音が気になりゃいつでもおいでよ
    せめて少しはカッコつけさせてくれ
    デザイン増える間に出て行ってくれ
     
    アア アアア アアア アア
    アア アアア アアア アア
     
    ダレて陰気にからむカセット巻いて
    たるみをくねらそう万年筆で
     
    アア アアア アアア アア
    アア アアア アアア アア

    短信

    爱情就像音乐:初恋是轻音乐,热恋是摇滚乐,结婚是通俗音乐,离婚是流行音乐。 
    5、送你十二生肖:祝你聪明如鼠,强壮如牛,胆大如虎,可爱如兔,自信如龙,魅力如蛇,浪漫如马,温顺如羊,顽皮如猴,美丽如鸡,忠诚如狗,长的像猪
    送你一件外套,前面是平安,后面是幸福,吉祥是领子,如意是袖子,快乐是扣子,口袋里满是温暖,穿上吧,让它相伴你的每一天!新年快乐!
    你有点灵气,我有点傻气;你有点秀气,我有点土气;你有点香气,我有点烟气;如果你生气,我不会发脾气
    我有点俗有点怪,有点无聊加可爱!有点懒有点坏,有点机灵加无赖!说无赖就无赖,油头滑脑谈恋爱!你想爱我那就爱。
    今年流行不送礼,托个蚊子来看你,从头脚亲亲你,千万不要打杀伊。如果有点痒兮兮,那是我在祝福你,如果疙疙瘩瘩地,那是祝福应验哩!
    January 07

    城山三郎

    旗 (「支店長の曲り角」城山三郎)
     
    旗振るな
    旗振らすな
    旗伏せよ
    旗たため
     
    社旗も 校旗も
    国々の旗も
    国策なる旗も
    運動という名の旗も
     
    ひとみなひとり
    ひとりには
    ひとつの命
     
    走る雲
    冴える月
    こぼれる星
    奏でる虫
    みなひとり
    ひとつの輝き
     
    花の白さ
    杉の青さ
    肚の黒さ
    愛の軽さ
    みなひとり
    ひとつの光
     
    狂い
    狂え
    狂わん
    狂わず
    みなひとり
    ひとつの世界
    さまざまに
    果てなき世界
     
    山ねぼけ
    湖しらけ
    森かげり
    人は老いゆ
     
    生きるには
    旗要らず
    旗振るな
    旗振らすな
    旗伏せよ
    旗たため
     
    限りある命のために
     
    天声人語 
    土曜日, 3月 24, 2007
    城山三郎
     作家の城山三郎さんが亡くなった。経済小説という新しい分野を切り開いた。貴いこの仕事は、経済という一分野を超えた大きなものに貫かれていたように思われる。
     四半世紀前、城山さんはネパールに旅をした。ヒマラヤを仰ぐ山国の湖畔で悠々と草をはむ牛がうらやましく、生まれ変われるならネパールの牛になりたいと思う。そして、戦争末期にも同じ思いをしたことを想起した。
     17歳だった城山さんは、忠君愛国の大義を信じ、海軍に志願入隊した。そこで一部 の職業軍人たちが愛国者の顔をしながらいかに醜いかを知る。理由もない体罰、ひっきりなしに振るわれるこん棒。兵士が芋の葉をかじる時、士官たちは天ぷ ら、トンカツを食う。演習の時、河原でのんびりしている牛を見て、牛の方がいいと思った。
     「大義名分のこわさ、組織のおそろしさ。暗い青春を生きたあかしとして、とりあえずそれだけは書き残しておかねばならない。そこからわたしの新しい人生がはじまった」。「大義の末」や「男子の本懐」などが生まれ、組織と人間を見つめる目に磨きがかかった。
     「旗」という詩がある。「旗振るな/旗振らすな/旗伏せよ/旗たため……ひとみなひとり/ひとりには/ひとつの命」(『城山三郎全集』新潮社)。
     旗一つで人をあおり、絡めとるようにみえる組織的な動きには、死の直前まで反対の声をあげ続けた。「戦争で得たものは憲法だけだ」とも述べたという。それが、城山さんを貫く思いであり、書き記そうとしてきたことの本質だったのかも知れない。

     
     
    January 05

    number list

    Spécifiques numériques  助数詞 ジョスウシ
     (cette bibliographie est extraite de Blin (éd), 2004, Les spécifiques numériques japonais, les publications du GRLJC)

    旭岡佳美・平川秀樹・天野真家, 1990,「日本語の数量的表現の意味処理について」『自然言語処理』78-17, pp.129-136.
    天岩 静子, 1999,「数の発達心理学」『言語』No.10, Vol.28, pp.61-65,大修館
    飯田 朝子, 1996, 「日本語分類辞の選定における形状の関与-「1本の 毛糸」と「1玉の毛糸」をめぐって-」第112回日本言語学会大会口頭発表
    飯  飯田 朝子, 1997, 「日本語分類辞『-ホン(本)』の用法:細長いから『本』なのか『本』だから細長いのか」第144回日本言語学会大会 口頭発表
    飯田 朝子, 1998a, 「日本語『ひとつ』『ふたつ』等の表現における“-つの意味と用法:主要助動詞『個』『本』との比較を中心に」『東京大学言語学論集17』, pp.133-69.
    飯田 朝子, 1998b, 「行為を数える助動詞『回』と『度』の比較」第  117回日本言語学会大会口頭発表
    飯田 朝子, 1999, 「日本語主要助数詞の意味と用法」東京大学大学院人文社会系研究科言語学専門分野博士学位論文
    飯田 朝子, 1999, 「『一個』と『一つ』は置き換えられるか-いわゆる 一つの助数詞考」『言語』No.10, Vol.28, pp.38-41, 大修館書店
    池上 禎造, 1940, 「助数詞考」『国語国文』No.10-3, pp.1-27.
    井上 京子, 1999, 「助動詞は何のためにあるのか」『言語』, No. 10, Vol.28 , pp.30-37, 大修館書店
    内林 政夫, 1999, 「トキとカネにみる数の表現」『言語』No. 10, Vol.28, pp.48-55, 大修館書店
    宇都宮 裕章 , 1995, 「数量詞の機能と遊離条件」『共立国際文化』Vol.7, pp.1-27, 共立女子大学国際文化学部紀要
    川端 善明, 1967, 「数、量の副詞-時空間副詞との関連-」『国語国文』No.36, pp.1 - 27.
    北原 博雄, 1996, 「連用用法における個体数量詞と内容数量詞」『国語学』186集, pp.76-63.
    国語学会編, 1980, 『国語学大辞典』東京堂出版
    佐藤 香織, 2000, 「イベント名詞句補部からの数量詞遊離現象」『日本語文法』2巻2号, pp.112-127.
    佐藤喜代治編, 1977, 『国語学研究事典』明治書店
    清水 康行, 1999, 「日本語の数表現」『言語』No.10, Vol.28, pp.42 - 47,  大修館出版
    高見 健一, 1996, 「日本語の数量詞遊離について-機能論的分析【中】」『言語』No.2, Vol.27, pp.86 - 95, 大修館書店
    谷原公男・顔瑞珍・デビー・リー, 1990, 「助数詞の用法とプロトタイプ-〈面〉・〈枚〉・〈本〉・〈個〉・〈つ〉-」『計量国語学』, 第17巻第5号, pp.209-224.
    築島 裕, 1965,「日本語の数詞の変遷」『言語生活』7月号, pp.30-36.
    土井忠生・森田武・長南実 編訳,  1980, 『邦訳日葡辞書』岩波書店
    日本放送協会編, 1987, 『放送のことばハンドブック』日本放送出版協会
    荻野 綱男, 1990, 「現代日本語の助数詞の意味変化の方向」『文芸言語研究言語編17  pp.67-77.
    松本 克己, 1999, 「世界言語の数詞体系とその普遍的基盤」『言語』No. 10 , Vol.28, pp.22-29, 大修館書店
    松本 曜, 1991,「日本語類別詞の意味構造と体系:原型意味論による分析」『言語研究』99, pp.82-106.
    三原 健一, 1996, 「数量詞連結構文と『結果』の含意【上】」『言語』No.6,  Vol.27, pp.87-95, 大修館書店
    三保 忠夫 (ed)、2000, 日本語助数詞の歴史的研究―近世書札礼を中心に, 578 p
    三保 忠夫 (ed)、2004, 木簡と正倉院文書における助数詞の研究, 風間書房, 951p.
    見坊 豪紀, 1967, 「現代の助数詞」『言語生活』7月号
    森 重敏, 1958,「数詞とその語尾としての助数詞」『国語国文』12月号
    矢澤 真人, 1885, 「連用修飾成分の位置に出現する数量詞について」『学習院女子短期大学紀要』23,  pp.96-112.
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    Takano Y., 1984, The lexical nature of quantifiers in Japanese, in Linguistic Analysis 14, pp.289-311.
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    Tamba I., 1999,  Unité de comptage et  catégorisation en japonais : réexamen de –hon, in Faits de langues 14 La catégorisation dans les langues, Ed. ORHRYS,  Paris
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    Terada M., 1990, Incorporation and Argument Structure in Japanese,  Ph.D, Dissertation, University of Massachusetts.
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    Uchida N., 1997, A Study on the Acquisition of Numerical Classifiers among Young Children : the comparison of the acquisition process between Japanese and Chinese, in Journal of Cultural Sciences, The Ristumeikan Bungaku 548, pp. 77-114.
    Uchida N., Imai M., 1996, A Study on The Acquisition of Numerial Classifiers among Young Children: the development of human/animal categories and generation of the rule of classifiers applying, in Japanese Journal of Educational Psychology 44, pp. 126-135.
    Uchida N., Imai M., 1999, Heuristics in Learning Classifiers : the acquisition of the classifiers system and its implications for the nature of lexical acquisition, in Japanese Psychological Research 41(1) Special Issue: Lexical Development: Evaluation of Word-Learning Constraints, pp 50-69, Blackwell Publishers.
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    Yamamoto K., Keil F., 2000, The acquisition of Japanese numeral classifiers: linkage between grammatical forms and conceptual categories, in Journal of east asian linguistics 9. pp. 379-409.
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    数量詞の研究に関する主な参考文献
     
    1970年
    岩倉国浩 1974 『日英語の否定の研究』研究社
     
    1980年
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    國廣哲彌編・黒田成幸・寺村秀夫・中右実・奥津敬一郎 1980 『日英語比較講座2 文法』大修館
    福沢 清 1982 指示と数量詞(2):作用域と島制約、『熊本大学英語英文学』26
    高橋順一 1982 数量詞の作用域について、『旭川工業高等専門学校研究報文』19
    浅川照夫 1983 遊離数量詞に関する一考察、『金沢大学文学部論集. 文学科篇』3
    矢澤真人 1985 連用修飾成分の位置に出現する数量詞について、『学習院女子短期大学紀要』23
    大木 充 1987 日本語の遊離数量詞の談話機能について、『視聴覚外国語教育研究』10
    岩澤勝彦 1988 遊離数量詞の叙述性と述語焦点化機能、『英文學研究』65(1)
     
    1990年
    井島正博 1990 数量詞の多層的分析、『山梨大學教育學部研究報告. 第一分冊, 人文社会科学系』41
    高橋 寛 1993 日本語の数詞的数量詞について、『洗足論叢』22
    福島富士郎 1993 数量詞と認可条件、『ノートルダム清心女子大学紀要. 外国語・外国文学編』17(1)
    木村宣美 1993 日本語の数量詞遊離と空間原理に基づく分析、『文経論叢. 人文学科篇』13
    阪東正子 1995 日本語の数量詞構文について、『名古屋大学人文科学研究』24
    森 美由紀 1996 遊離数量詞について、『学習院大学人文科学論集』5
    北原博雄 1996 連用用法における個体数量詞と内容数量詞、『国語学』186
    奥津敬一郎 1996 『拾遺 日本文法論』ひつじ書房
    森  貞 1997 「不定語+モ」生成の認知的基盤について、『国語学』188
    加藤重広 1997 日本語の連体数量詞と遊離数量詞の分析、『富山大学人文学部紀要』26
    坂口真理 1997 <研究ノート>数量詞のLF-移動に関する制限について、『ノートルダム清心女子大学紀要. 外国語・外国文学編』21(1)
    廣瀬幸生・加賀信広 1997 『日英語比較選書4〈全10巻〉 指示と照応と否定』研究社
    中右実・廣瀬幸生・加賀信広 1997 数量詞と部分否定(数量詞と部分否定の解釈)、『日英語比較選書 4 指示と照応と否定』研究社
    神尾昭雄・高見健一 1998 『日英語比較選書2〈全10巻〉 談話と情報構造』研究社
    中右実・神尾昭雄・高見健一 1998 情報構造と伝達機能―省略、後置文、数量詞遊離(省略後置文数量詞遊離)、『日英語比較選書 2 談話と情報構造』研究社
    北原博雄 1998 移動動詞と共起するニ格句とマデ格句 --数量表現との共起関係に基づいた語彙意味論的考察?、『国語学』195
    柳瀬正人 1999 遊離数量詞とその派生、『日本獣医畜産大学研究報告』48
    小林昌博 1999 マルチモーダル範疇文法による日本語の数量詞遊離の分析、『情報処理学会研究報告. NL, 自然言語処理』99(95)
    井本 亮 1999 「ほど」の数量詞的機能--「VするほどVした」 構文の意味解釈から--、『国語学』198
     
    2000年
    町田 健 2000 数量詞遊離の適格性を決定する諸要因について、『名古屋大學文學部研究論集. 文學』46
    柴田真季 2000 言語獲得における数量詞解釈、『金城学院大学大学院文学研究科論集』6
    坂口真理 2000 日本語における分配の数量詞の極小主義的分析、『ノートルダム清心女子大学紀要. 外国語・外国文学編』24(1)
    田中秀毅 2000 日本語における復号名詞句からの数量詞遊離、『言語文化論集』53
    森山卓郎 2000 数量詞と格、『ここからはじまる日本語文法』ひつじ書房
    原口庄輔・中島平三・中村捷・河上誓作 2000 数量詞の作用域、『英語学モノグラフシリーズ1〈全21巻〉 ことばの仕組みを探る―生成文法と認知文法』研究社
    橋本永貢子 2001 中国語数量詞の<恣意性>について、『岐阜大学地域科学部研究報告』9
    加藤鉱三 2001 副詞的要素としての遊離数量詞、『人文科学論集. 文化コミュニケーション学科編』35
    立石浩一・小泉政利 2001 遊離数量詞、『英語学モノグラフシリーズ3〈全21巻〉 文の構造』研究社
    奥野忠徳・小川芳樹 2002 数量詞間の作用域関係、数量詞と束縛代名詞、名詞句内の数量詞の作用域、疑問詞と数量詞の作用域関係、遊離数量詞の作用域、『英語学モノグラフシリーズ9〈全21巻〉 極性と作用域』研究社
    高見健一・久野暲 2002 名詞句からの外置構文と数量詞遊離構文、『日英語の自動詞構文―生成文法分析の批判と機能的解析』研究社
    楊凱栄 2002 「も」と“也”  ――数量強調における相異を中心に、生越直樹編『シリーズ言語科学4 対照言語学』東京大学出版会
    松本純一 2002 日本語の遊離数量詞構文を通して見た生成文法小史、『東洋女子短期大学紀要』34
    江口 正 2002 遊離数量詞の関係節化、『福岡大學人文論叢』33(4)
    松倉 茂 2002 数量詞の作用域と特定性、『研究紀要 : 富山医科薬科大学一般教育』27
    羽鳥百合子 2002 日本語の数量詞遊離:用例にみる機能的特性、『川村学園女子大学研究紀要』13(1)
    橋本永貢子 2003 非指示的名詞句における数量詞の働きについて、『岐阜大学地域科学部研究報告』12
    木村宣美 2003 遊離数量詞の構成素性について、『人文社会論叢. 人文科学篇』9
    坂口真理 2003 日本語における数量詞の作用域、『ノートルダム清心女子大学紀要. 外国語・外国文学編』27(1)
    西垣内泰介・石居康男   2003 数量詞の遊離、『英語学モノグラフシリーズ13〈全21巻〉 英語から日本語を見る』研究社
    小林昌博 2004 数量詞の形式と量化の領域:日英語の対照の観点から、佐藤滋・堀江薫・中村渉編『対照言語学の新展開』ひつじ書房
    小林昌博 2004 数量詞の形式と量化の領域:日英語の対照の観点から、佐藤滋・堀江薫・中村渉編『対照言語学の新展開』ひつじ書房
    西山佑司 2004 『日本語名詞句の意味論と語用論―指示的名詞句と非指示的名詞句―』ひつじ書房
    January 04

    長渕剛

    とんぼ
    作詞者名 長渕剛
    作曲者名 長渕剛
    コツコツとアスファルトに刻む【 Y MZ ++ 和*风*日*语 www.jpwind.com 更多资源 更好服务 ++eI 0E&`】
    足音を踏みしめるたびに
    俺は俺で在り続けたい そう願った
    裏腹な心たちが見えて やりきれない夜を数え
    のがれられない闇の中で 今日も眠ったふりをする
    死にたいくらいに憧れた 花の都 大東京
    薄っぺらのボストンバッグ 北へ北へ向かった
    ざらついたにがい砂を噛むと
    ねじふせられた正直さが
    今ごろになってやけに骨身にしみる
    ※ああしあわせのとんぼよ どこへ
    お前はどこへ飛んで行く
    ああしあわせのとんぼが ほら
    舌を出して 笑ってらあ※
    【wVdvb,?l++ 和风日语 www.jpwind.com 更多资源 更好服务 ++ }P!L Y】
    明日からまた冬の風が 横っつらを吹き抜けて行く
    それでもおめおめと生きぬく 俺を恥らう
    裸足のまんまじゃ寒くて 凍りつくような夜を数え
    だけど俺はこの街を愛し そしてこの街を憎んだ
    死にたいくらいに憧れた 東京のバカヤローが
    知らん顔して黙ったまま 突っ立ってる
    ケツの座りの悪い都会で 憤りの酒をたらせば
    半端な俺の骨身にしみる
    (※くりかえし)
    (※くりかえし)
     
    長渕 剛(ながぶち つよし、1956年(昭和31)9月7日 - )は日本のシンガーソングライター、俳優。本名同じ。「長淵 剛」は、誤記。鹿児島県鹿児島市出身(出生は日置市伊集院町)。
    経歴
    1977年、シングル『雨の嵐山』で歌手としてデビュー。(※一般的には再デビューの1978年『巡恋歌』を本格デビューとしている。)『順子』や『乾杯』、『とんぼ』、『しゃぼん玉』、『しあわせになろうよ』などのヒット曲を持ち、また、俳優としては、『親子ゲーム』や『とんぼ』、『オルゴール』などのドラマや映画出演で知られる。 ソロアーティストとしてアルバム初登場一位獲得数12作品という記録をもっている。またソロアーティストでは井上陽水、槇原敬之とともにシングル売り上げ1000万枚を突破している。
    鹿児島市立中郡小学校、鹿児島市立甲南中学校、鹿児島県立鹿児島南高等学校情報処理科を経て、九州産業大学芸術学部写真学科中退。 妻は元女優の志穂美悦子。 長女である長渕文音が、2008年夏公開の映画「三本木農業高校、馬術部」(監督:佐々部清)の主役として女優デビューすることが内定し、今後が注目される。

    人物
    警察官の父親・邦治(くにはる)と母親・マス子の長男として、1956年9月7日、当時の鹿児島県日置郡伊集院町(現・日置市)にて生を受けた。上に姉がいる2人姉弟。兄がいたが乳児期に病死している。
    子供のころのあだ名は「レオン」。
    愛犬はホワイト・スイス・シェパードの「レオ」。
    現在でこそ肉体改造で筋肉質の体になっているが、出生後まもなく、インフルエンザで生死の境をさまよっていたと言う話がある。幼い頃の長渕は体が非常に弱く、よく喘息発作を起こし、病院通いが欠かせなかった。
    音楽が長渕の楽しみであった。吉田拓郎(長渕と同郷)や加川良、友部正人、遠藤賢司等のフォークソングを好んで聴いていた。「自分もいつかはミュージシャンになりたい」と言う願望もあったのか、中学3年の正月に3000円のガット・ギターを購入し、鉄弦を張り思いのままに好みの楽曲をコピーしていったのである。
    シンガーソングライターとしての道を歩むきっかけとなったのは、高校時代に生で観覧した、拓郎のコンサートであった。これを境に拓郎、更には加川や友部と言った、当時売れっ子だったフォークシンガーの歌に傾倒していく事になる。大学進学後は洋楽も聴くが、基本的には1960~70年代の、日本のフォークシンガーからの影響を強く受けている様である。
    1980年代半ば頃にはロック色が強くなり、サウンドにも現れたが、1980年代後半からは原点であるアコースティックに戻っている。
    デビュー当時は、今とは違いかなり透き通った発声で歌っていたが、自分自身の作りたい楽曲のイメージとの乖離に悩まされ、1980年代の半ばから発声方法を変える様になった。ボブ・ディランの歌声への憧憬から、焼酎やルゴールの原液で何度もうがいをし、歌手の命でもある喉を焼き切った。しかし、それでも簡単には声質は変わらなかった。長いライブ活動を続けていくうちに、透き通った声は消えうせ、しわがれた声へと変わる。そうして長年のキャリアで培われた独特の歌唱法や楽曲のスタイルは、10代から中高年層までの幅広い年齢層で数多くのファンを生み出した。また、そうした荒療治や歌唱法により、喉にポリープが出来ていることをインタビューで告白している。しかし、ポリープを除去すると声質が変わると医師に宣告され、声質を変えたくない長渕は、悩んだ末そのポリープを除去せぬまま今の声質を保っていると語っている。
    歌を披露する際には必ずガムを噛みながら歌っていた時期もあった。
    幼い頃からジープ を好み、その後HUMMER H2を購入する。その時、取材で『H1は鉄が走っている感じ、あれは軍用車、H2はオシャレに乗れていい』といったんH2を手に入れるが、桜島のコンサートを期に“選ばれし者が乗る車”“四輪駆動の王”と米国セレブからも好評のあるH1 HUMMERハマーを購入、現在所有。
    俳優としても、『家族ゲーム』や『とんぼ』『しゃぼん玉』等のドラマ、『オルゴール』や『男はつらいよ・幸福の青い鳥』『英二』等の映画に出演している。
    デビュー当初は痩身で長髪のフォークシンガーというイメージで、「遅れてきたフォーク青年」と呼ばれたりもした(長渕のデビュー当時はすでにフォークブームが過ぎた後であった)。透明な声と繊細なラブソング、達者なフィンガーピッキングによるアコースティックギターで人気を博し、現在の彼とはかなりイメージが異なっていた。1980年代半ばからは髪を切り、同時期に出演していたドラマでの気さくな兄ちゃん振りから、徐々にやんちゃなイメージになっていった。
    1988年に主演したTVドラマ『とんぼ』でのヤクザ役が大当たりした。この頃から歌声はいっそう枯れていき、歌詞もハードなメッセージを前面に打ち出したものになっていき、ドラマのイメージも相まって、バイオレンスなイメージが定着していった。また女性スキャンダルやスタッフへの暴行がたびたび報道されるようになり、1990年代前半にはその人気が絶頂になった反面、ダーティーなイメージもついて回った。1995年1月24日、大麻取締法違反で逮捕されてからは、かつてほどのダーティーイメージは薄らいでいった。
    2004年8月21日に、鹿児島県の桜島特設ステージで、全国から約7万5千人の観衆を集めてのオールナイトコンサートを敢行し、大成功を収めた。このコンサート会場で売られていたオフィシャルミネラルウォーターは地元企業の商品であった。2006年3月19日には、コンサート会場跡地に記念碑が建てられる。記念碑名は「叫びの肖像」
    2005年12月公開の東映映画『男たちの大和/YAMATO』の主題歌を担当。『CLOSE YOUR EYES』が先行リリースされ、話題になった。
    スポーツ界との交流も深く、そのジャンルも、極真空手の緑健児やプロボクサーの戸高秀樹、プロ野球・福岡ソフトバンクホークスのゼネラルマネージャーを務める王貞治やオリックス・バファローズの清原和博、F1レーサーの佐藤琢磨、ラグビーの大八木淳史、K-1の山本"KID"徳郁、元Jリーガーの呂比須ワグナー、横綱の朝青龍等幅広い。
    芸能界でも非常に熱心なファンが多い。以下にファンであることを公言している有名な人物を挙げる。
    渡哲也、島倉千代子、岩沢厚治(ゆず)、押尾コータロー、MAKIDAI(EXILE)、清木場俊介、アンダーグラフ、橋谷康一(Jackson vibe)、向井秀徳、井ノ原快彦(V6)、藤原竜也、間寛平、松本人志(ダウンタウン)、松本隆博(松本人志の兄)、上田晋也(くりぃむしちゅー)、勝俣州和、上沼恵美子、ほんこん(130R)、ココリコ、博多華丸(博多華丸・大吉)、ワッキー(ペナルティ)、庄司智春(品川庄司)、田村淳(ロンドンブーツ1号2号)、柴田英嗣(アンタッチャブル)、フットボールアワー、児嶋一哉(アンジャッシュ)、吉田敬(ブラックマヨネーズ)、さがね正裕(丁半コロコロ)、山口智充、山田雅人、柳沢慎吾、長瀬智也(TOKIO)など。
    このほか番組や映画での共演が縁で、芳村真理・白川由美・倍賞千恵子とも親交があるとされる。芳村は、「夜のヒットスタジオ」司会当時、彼の音楽的才能につき「彼(長渕)は天才だ」と絶賛し、長渕が甚く感激したというエピソードがある。白川に関しては「家族ゲーム」以降の親交があり、長渕は彼女を時折自身のコンサートに招待している。
    芸能ジャーナリストの井上公造とは、大学時代の同じバイト仲間であり(井上は西南学院大学卒業)長渕が東京へ上京する時に井上が幹事で送別会を行っており、現在も交友がある。
    絵画や詩にも才能を発揮し自身の詩画展を開き何度も成功を収めている。また、その収益金の一部を阪神・淡路大震災で家を失った子供達等の為に寄付した。鹿児島県関連の九州新幹線開業キャンペーンの風は南からの風の書体をデザインしている。その書体は、現在かごしま県民交流センターに展示している。
    酒に弱い事は意外に知られておらず、この事を語っている楽曲もいくつか存在する。また以前はかなりの喫煙者であったが、現在は禁煙している。
    使用ギターはレコーディングではギブソン製(J-45、J-200等)、ライブではタカミネ製のエレアコを主に使用する。エレクトリックギターは楽曲によってはライブでたまに使用する。
    使用ハーモニカ(ブルースハープ)はTOMBOの「メジャーボーイ」。現在一般的なハーモニカホルダーの形(テンホールズハーモニカ専用で、ハーモニカをセットする部分が狭くなっている)は彼が考案したものとのこと。「特許をとっておけば良かった」と雑誌のインタビューで語った。
    「週刊ザテレビジョン」では、イメージが合わないことを理由に、レモンの使用を拒否したことでも有名。
    2003年に放送されたラジオ番組「今夜もバリサン」で長渕は今は亡き「尾崎豊」についてとつとつと語った。「彼(尾崎)は最後レコード会社からも見捨てられ、本当に孤独だったんだ。彼みたいな才能ある人間を業界は孤独にさせたらだめだ!」とも語っていた。
    2007年4月27日、関西テレビ放送制作、フジテレビジョン系列(FNS)で放送の『さんまのまんま』で、明石家さんまと対談。過去にさんまとは「明石家さんまのオールナイトニッポン」で対談を行ったことがあり、放送でもその点について触れていた。「ラーメンは吸うのか噛むのか」などで言い合う珍妙なトークを行い、最後は2人で『とんぼ』をデュエット。ハーモニカ(TOMBO・メジャーボーイ)をさんまにプレゼント。ただしギター弾き語りは行われず、『とんぼ』は国吉良一(因みにさんまの『真っ赤なウソ』の編曲者でもある)のキーボード演奏に拠る物であった。
    1992年に行われた東京ドームでのセンターステージライブに関して、本人は「あまり覚えていない」と語った。65,000人の熱気のど真ん中で、あまりにインパクトがあったとの事。また「東京ドームという場所は、本来ライブをやるべき場所じゃない。(音響面で最悪、自分の声が数秒後跳ね返ってくる)ドームでライブをやる必要性がある時はやるけど」と語っている。
    「アコースティックギターは弾くものじゃなく、叩くもの」という持論を持っている。故に、ピックで弾きながら、手の平の腹部分で、ギターのブリッジ付近を叩きつつ演奏する曲も多く見られる。これはニール・ヤングの影響と見られる。

    70,80年代の人

    叮当:www.my0511.com
    欢迎收听往事搜索在线广播,今天由叮当在这里为您送上生于70年代的特别节目。当当相信正在收听节目的很多朋友都和当当一样出生在70年代。70年代出生的人最大的33岁,最小的24岁。正如一首歌:“我们无奈,因为我们存在。我们存在,实在是无奈,我们生于70年代 。”70年代是一个淳朴的年代,而这个年代出生的人更是由一个淳朴的年代进入一个信息时 代。而这一代人有人平步青云,有人怀财不遇,有人欢笑,也有人哭泣。他们在生活中承受着不同的压力,感受着不同的遭遇,其实和其他年代出生的人也没什么不同。只是生活对他 们来说有了太大的变化。那么今天就请各位随叮当一起从70年代慢慢的走过来,在今天的节 目中你可以听到很多久违的歌曲,回忆起童年的生活。(歌曲:我在马路边捡到一分钱。。。。。。)这样的歌曲你还记得吗?在幼儿园的时候我们都唱过,也许你已经淡忘,然而就是这样的歌曲伴随着我们一点点的成长起来。(歌曲:我在马路边捡到一分钱。。。。。。)现在我们一起来回忆一下我们小时候曾经吃过的零食,一起来回忆一下那个时候我们怎么 样一点点长大的。还记得那个时候的爆米花吗?一个老头抗着一口葫芦一样的黑锅,走街串巷。将米变成白白的爆米花,那个时候他可是最受小朋友们欢迎的魔术师,还有一种东西叫做棉花糖,那是最不可思议的小吃,5 分钱一团。一勺勺糖放进去,一团团棉花就出来了。棉花能吃,而且还是甜的。网友春藤紫玉说小时侯有一种红黄铁罐的麦乳精和长江牌奶粉,是那时候的大众化营养品了。当当还记得那种的麦乳精,其实味道和现在的麦片有点象。网友不爱说小时候还有一种食品叫“金刚 ”,这是一种糕点,有6 个角。有甜的也有咸的,相信很多网友都有吃过。今天的节目我们会从小时候一点一点长大,一点一点去回忆我们曾经的故事,当当这里还有一首歌是我们在小时侯幼儿园听的最多的。那就是(歌曲:太阳光金亮亮,雄鸡唱三唱。。。。。。)太阳光金亮亮,雄鸡唱三唱,花儿醒来了,鸟儿忙梳妆。小喜鹊造新房,小蜜蜂踩蜜糖,幸福的生活哪里来,要靠劳动来创造。老师那个时候常常教育我们要象小蜜蜂一样勤劳。(歌曲:太阳光金亮亮,雄鸡唱三唱。。。。。。)你还记得那个时候的“蛤蟆粟”吗?还记得那个时候的泡泡糖吗?长长的一条用一半红一半白的纸包着,上面有个小姑娘在吹泡泡,那么当当还记得那个泡泡糖是上海生产的,5 分钱一块,在大大出世以前那绝对是个大哥大。除了一些歌曲,值得我们回忆的东西还有很多很多。还有一些和现在相比起来非常单调但又陪我们度过童年的卡通片。(歌曲:阿图木。。。。。。)那么这首歌就是我们看到最早的日本动画片铁臂阿图木的主题歌,片中机灵勇敢的阿图木对当时的孩子有着极大的吸引力,人们在记住阿图木的同时也记住了另一台电
    器,从那时起以日历为代表的日本电器就与阿图木一起走入了千万个中国家庭。(歌曲:阿图木。。。。。。)(歌曲:小燕子,穿花衣。。。。。。)我们小时候吃过的零食还有酸梅粉,一小袋一小袋的,棕色的里面有个小勺,勺子上面还有个小动物或是戏剧人物,还有鸡蛋片,麦芽糖,小稀糖,不过那玩意在现在看来真的很不卫生,网友乾坤说小时侯还有一种食品叫猫耳朵,现在不多见了。这么一说当当到是想起来了,其实那就是年糕爆出来的,当当还记得小时候喜欢吃赤豆糊,当然这些东西在现在的孩子来说已经不能用普通两个字来形容了,可能有的东西他们甚至没有见过,但在我们小时候确实是很受小朋友欢迎的。(歌
    曲:小燕子。。。。。)70年代出生的人是最后一拨男女生明明互有好感,却故做邪恶装,在课桌上画上38线的人,是最后一拨在小时侯写作文是会写上自11界三中全会以来这句话的人,是最后一拨学校开会冷场,有事没事就开唱没有花香没有树高的人,是最后一拨接受计算机启蒙教育时,还见识过basic 语言的人,是最后一拨小时候要到别人家看电视,死活赖着不肯回家,有过被父母打骂经验的人。是最后一拨61节还必须找出来白衬衫,蓝长裤的人。是最后一波和泥巴,过家家,弹弹子,拍洋话,背着军用水壶,揣着茶叶蛋春游的人,是最后一拨用过粮票,油票,布票,拎着瓶子打酱油的人,是最后一拨对五讲四美三热爱倒背如流,但始终搞不清楚什么时候才能够练成自有心人的人。是最后一拨告诉自己要有理想,有信念,好好学习,天天向上,跳橡皮筋的时候唱我爱北京天安门,每个月存5 元钱指望小学毕业去看天安门的人,是最后一拨看过小人书的人,当当还记得那个时候我们 儿园后门有个小人书摊,那个时候当当的幼儿园就在现在丹毒大厦的位置,我们小时侯经常去看小人书,厚的两分钱一本,薄的1 分钱一本。70年代出生的人也是最后一拨享受过品质最佳的国产动画片的人,九色鹿我们看一回感动一回,大闹天宫让我们出具审美的情趣,是最后一拨当年在看了排球女将后,逢中日排球赛就紧张万分,生怕日本队真的练成了晴空霹雳,抢走中国女排5 连贯的人,是最后一拨在中学毕业时都要含着泪唱小虎队那首“再见”的人,只要你生于70年代,那么当当相信你一定会对刚说的这些产生共鸣。(歌曲:太阳当空照。。。。。。)转眼间我们背着书包上小学了,如果当当没记错这首上学歌就是我们小学所学的第一首歌曲,那时候学校门口有很多无证摊贩,什么都有的卖,那种小的黑白的遗像式的香港明星的照片,5 分钱一张,温美玲的特好卖,卖着卖着还真的成了遗像,估计那就是最早的盗版。(歌曲:泥娃娃。。。。。。)那时候还有少年报,小主人报,儿童时代,少年文艺,故事大王等等一些杂志,流行太阳画,还有一种印花纸,沾点吐沫就可以印出图案,非吐沫不可,干净的水还不管用,男孩子喜欢滚铁环,女孩子喜欢跳皮筋,70年代出生在城里的人,家中兄弟姐妹一般2 到3 人,农村稍多一点,大的不爱带着小的玩,小的总爱粘着大的,经常看到大的撒腿就跑,小
    的在屁股后面哇哇就哭。当然70年代末期的大多数是独生子女,没有这种待遇。(歌曲:我们是共产主义接班人。。。。。。)上了小学没多长时间,我们就加入了少先队,少先队队
    歌你还记得吗?你还记得第一次带上红领巾激动的心情吗?那我们现在就随着这首歌一起回
    忆一下当时激动的心情。(歌曲:我们是共产主义接班人。。。。。)(歌曲:一休哥。。
    。。。)聪明的一休,善良的小叶子,辱莽的新右为门,和蔼的长老,以他们充满哲理的动
    人故事,深入人心,孩子门都纷纷以一休作为自己的榜样,这部卡通片给我的童年带来了很
    多温馨的回忆,而一休最经典的动作就是盘腿打坐,十指在头上画圈圈,思考问题。(歌曲
    :各级各级。。。。。。)恩,这就是我们小时侯喜欢的卡通片,聪明的一休的主题曲。那
    么当当这里还有一首歌相信你一定还记得,那就是这样的一首歌:(歌曲:在那山的那边海
    的那边有一群蓝精灵。。。。。。)大家想必还记得阿仔猫,不过蓝精灵你又能说出几个呢
    ?蓝爸爸,蓝妹妹,聪聪,兰兰,笨笨,厌厌,乐乐,建建,玲玲,爱爱,酶酶,有爱做蛋
    糕的蓝精灵,有爱吹小号的蓝精灵,有爱照镜子的蓝精灵,也有爱做木匠的蓝精灵,他们都
    非常可爱,非常聪明,而且他们有着非常值得我们学习的团队合作精神。(歌曲:在那山的
    那边海的那边有一群可爱的蓝精灵。。。。。。)(歌曲:尼尔丝骑鹅旅行记。。。。。。
    )这首歌你还记得吗?也许你已经不在熟悉,因为聪明的一休,蓝精灵等卡通片都给了我们
    太多的回忆,而这部故事片叫做尼尔丝骑鹅旅行记,你还记得起来吗?(歌曲:尼尔丝骑鹅
    旅行记。。。。。。)也许你已经淡忘尼尔丝骑鹅旅行记,下面的这个音乐你一定应该还记
    得,我们一起来听一下,看看能不能让你回忆起你在学校的生活。(歌曲:为革命保护视力
    。。。。。。)为革命保护视力,想想那个时候什么都是为革命,你还记得眼保健操是怎么
    做的吗?如果你愿意可以闭上眼睛随着我们的音乐来做眼保健操。(眼保健操进行中。。。
    。。。)眼保健操做完了,但愿这样的音乐能够让你回忆起快乐的童年。(歌曲:海风在我
    耳边倾诉着老船长的梦想。。。。。。)
    当我们慢慢成长起来,我们的国家也开放了,我们也听到了很多来自国外和港台的音乐,而
    这个时候小虎队伴随着我们度过了中学的生活,我们已经步入了青春期,随心所欲的跟着感
    觉走,小争成了一种落伍的风格,我们比任何一带都更宽容,更随和,也更冷漠,所以在中
    国历史上我们这一带人头一次不在赋予自己生存与高尚的目的,我们没有为国家民族的生死
    存亡了奔走的焦虑和悲壮,我们更没有领导世界革命,解放全世界三分之二受苦受难人民的
    伟大志向,我们甚至没有重建价值体系,寻找心灵归一,在张扬自我和理性重洋之间找到一
    个合理的中庸的热情,我们认同人性的平庸,理性力量的有限,不在试图改变世界,而倾心
    与营建自己的世界,我们这一代人身上没有了中国知识分子最明显的特点,政治参与热情和
    政治敏感心理,就是我们理解对社会的最大贡献。(歌曲:贝壳趴上沙滩看一下世界有多么
    大。。。。。。)一首来自于台湾小虎队的“蝴蝶飞呀”,那么接下来再来听听这首歌找找
    你的感觉,这是中国乐坛流行音乐的开头音乐:(歌曲:我的头,象山沟。。。。。)也许
    现在被REP 音乐包围的年轻人已经忘记了这样的音乐,但是这样的音乐曾经伴着很多70年代的人走过了
    青春萌动的时期,因为这样的音乐富裕了他们发泄愤怒的力量,70年代出生的人喜欢过现在
    这首正在播放的信天游,喜欢过陈林的酒干糖卖舞,喜欢过张芹的直到,也喜欢过朱小玲的
    那一年我17岁,在后来是费翔和齐秦,看港台录象,玩电子游戏,跳霹雳舞,听摇滚音乐,
    这些他们都曾经痴迷过,腰里别随声听,一张和太阳镜上留着商标,知道手抄本的少女之星
    ,曼那回忆录,在学校被老师或者同学搜过书包查找有没有手抄本,谈恋爱好象比哥哥姐姐
    门容易,学过女排的拼搏精神,在笔记本上写过走自己的路让别人说去吧。当当还记得我在
    上中学的时候喜欢用一个非常漂亮的笔记本来抄写流行歌曲的歌词,那笔记本上还贴有漂亮
    的明星贴纸,歌词本呢在同学门之间还互相的换着看,现在当当家里还有这样的歌词本,不
    过现在在翻开歌词本看看上面的明星贴纸,甚至觉得那个时候的明星真的好土,可他们在当
    时却是引领时尚潮流的人,好了,我们先不讲这么多,先来把这首“信天游”听完。(歌曲
    :信天游。。。。。。)(歌曲:少林少林。。。。。。)这首歌你还熟悉吗?也许这部老
    电影你已经看过无数遍,恩没错这是来自国产武侠片少林的主题曲,(歌曲:少林寺。。。
    )你还记得李连杰扮演的小和尚吗?还记得我们看完少林寺后在放学路上和小伙伴比武的那
    一段往事吗?(歌曲:射雕英雄传。。。)那么现在这首歌是来箭射雕英雄传华山论箭的主
    题歌,射雕英雄传可以说是影响了70年代很多人至少一个阶段的人生,我们从那个时候开始
    接触金恿的作品,从看他的小说,到看他的散文,史评,史论,对于我们这些出生于70年代
    的人来说,没有什么比这部电视剧更具有吸引力的了,温美玲就是黄容谁也替代不了,记得
    那个时候我们一下课操场便成了擂台,100 多个靖哥哥在那练降龙十八掌,30多个红七公拿
    着个棍子到处乱窜,甚至还有7, 8 个欧阳克摇着扇子去调戏黄容,而这些都是我们美好的回忆。(歌曲:射雕英雄传。。。)
    (歌曲:轻轻的我将离开你。。。。。。)齐秦的一首大约在冬季,你应该还很熟悉,齐秦
    也是当当非常喜欢的一个歌手,那么当当的歌词本上就抄有很多齐秦的歌,当然也包括这首
    大约在冬季,我们一起来听这首歌。(歌曲:大约在冬季)(歌曲:忘不了你眼中的泪光。
    。。。。。)70年代出生的人是没有世界观的一代,或者说我们是中国历史上没有议员价值
    观的一代,因为我们几乎和醒过来的中国一起成长,我们的事业几乎和中国的事业同步扩展
    ,我们的血液被青春点燃时,中国也正经历着第二青春期,从我们懂事到现在这个世界一直
    在变,计划生育,包产到户,承包制,学潮,股份制,下岗,上网,入关直到现在,一切都
    还没有站住脚跟,我们不象上几代人那样能在生活的缝隙中休息祝福,从容流连,沉淀一些
    细致的感受,如果说我们有导师的话,这个导师就是时代,是下海风,是期货风,是抄股风
    ,这个世界日新月异,引诱你用身体去体验,挑逗你快点成长起来抓住它,我们喜欢这种不
    段变化的感觉,因为我们知道这些变化是为我们而准备的,只有我们才能追的上它,我们为
    社会的发展欢欣鼓舞,我们对这个社会的缺点很宽容,我们对社会没有强烈的批判意识,没
    有慷慨激昂的风蚀记俗,我们本能的采取了现实主义的态度,首先去适应这个社会,而不是
    去改造这个社会,我们的青春刚刚过去,而我们的时代刚刚开始,我们已经作好了全方位接
    管社会的准备,我们这中国历史上成前起后的一代注定要为中国带来独特的活力,我们注定
    要作出前无古人的事业,在我们30岁到50岁这个阶段,中国将会进入真正的发展期,中国的
    质变将在这期间真真完成,而我们将亲手导演这伟大的历史过程,历史毕竟是从我们开始,
    翻开来了新的一页。历史会永远记住我们,但是我们必须抓紧时间,因为下一代已咄咄逼人
    ,非常感谢你收听往事搜索在线广播,由叮当为您送出的特别节目:出生于70年代。这个节
    目到这里就结束了,您对我们的节目有什么感想或者是建议,可以给我们的QQ留言,我们的
    QQ号码是83045858 ,当然你也可以发Email给我们,我们Email地址任然是不变的:my0511jb@yahoo.com.cn ,
    我们的Email信箱和QQ还是为您24小时开通,好了各位 朋友拜拜!
    December 20

    複合動詞

    ○泣きぬれる、遊びくだびれる、食い倒れる、聞きほれる、飲みつぶれる、待ちくだびれる
     
     
    December 16

    さよなら三角

    ”さよなら三角、また来て四角”ってどういう意味ですか?
    ”さよなら三角、また来て四角”ってどういう意味ですか? 

    回答数: 6  質問した人: renewal_i_have_a_cell_phoneさん   1-2  この質問内容が不快なら  
     
    ベストアンサーに選ばれた回答
    回答日時: 2006/10/7 11:15:36 回答番号: 31,797,154
    連想ゲームのような言葉遊びの始まりの句です。
    さよなら三角、また来て四角、四角は豆腐、豆腐は白い、白いはウサギ
    ウサギは跳ねる、跳ねるはカエル、カエルは青い、青いは柳、柳は揺れる、
    揺れるは幽霊、幽霊は消える、消えるは電球、電球は光る
    光るは親父のはげ頭!
    と続きます。細かな内容は、地域や世代によって違うかもしれませんが。
     

    結婚式いろいろ

    ☆中国の結婚式 「上海快楽」より

    http://jiaojiao.exblog.jp/6061085/

    招待状、喜糖、式の紹介あり。

     

    ☆☆☆☆☆写真付きの結婚式招待状は「迷惑」だ!

    http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1013617850

     ・結婚式の招待状に2人の写真を同封しようと思うのですが・・・。

    あるサイトで、「招待状に”婚約者に会ったことがない人には、ふたりの写真を添えよう。前もってふたりの顔を知ってもらうと、ふたりへの親近感もわくはず。”」と書いてあり、いいアイディアだと思いました。そして2人の写真の後ろにメッセージを書いて招待状に同封しようと思い、彼にそのことを相談しました。彼はそのようなことをするということは聞いたことがないので、会社の人に相談してみると言いました。翌日会社の人に聞いたら「写真をもらってもその写真をどうしていいかわからない。やるなら親族だけにしたら?でもやらなくていいんじゃない。」と言われたそうです。

    確かに写真をどうしていいかはわからないと思うのですが・・・。

     

    ・みなさんは招待状に写真が同封されていたら迷惑ですか?私はいいアイディアだと思ったのですが・・・。

      

    回答数: 7  質問した人: marie_moka_myloveさん   1-2  この質問内容が不快なら 

     

    → ベストアンサーに選ばれた回答:

    回答日時: 2007/11/26 22:58:16 回答番号: 42,950,748

    ・きっぱりはっきり迷惑とまでは言いませんが、要らないです。顔は当日見るだけで十分です。

    迷惑度は、子供のみの写真付き年賀状と同等かも。

    回答した人: whitehorn_mavericksさん   4-2  この回答内容が不快なら 

     

    → ベストアンサー以外の回答

    回答日時: 2007/11/26 21:35:30 回答番号: 42,947,225

    私は要りませんね。特別迷惑っていうワケではありませんが、当日まで「ダンナさん・お嫁さんってどんな人かな~?」とワクワクするのも楽しみの一つだと思ってます。親戚や会社関係より友達に送るものだったら良いかも知れません。親近感が湧くというのもわかります。

    回答した人: aya_initialさん   1-2  この回答内容が不快なら 

     

    回答日時: 2007/11/26 21:41:45 回答番号: 42,947,484

    確かに、どうしていいか分からないですね。頂いても迷惑ではないですが、親近感=ラフなイメージがあります。

    回答した人: e06i07t08aさん   3-3  この回答内容が不快なら 

     

    回答日時: 2007/11/27 11:42:18 回答番号: 42,963,964

    迷惑とまでは言いませんが、確かにどう処分して良いか困りますね。以前、友達から、2人の写真に招待文が印刷された招待状をもらった事がありますがそれは、個性的でステキだなと思いました。でも、招待状に写真を同封されるのはちょっと・・・・私は、もらった招待状も席次表などと一緒に記念に取っておく方なんですが、写真をその中に入れっぱなしにするのもなんだし、だからって捨てるのも捨てにくいし。迷惑というより困惑しますね。意図がつかめなくて ←ここは大事なポイント!

    回答した人: sakula0109さん   4-3  この回答内容が不快なら 

     

    回答日時: 2007/11/27 16:38:04 回答番号: 42,972,221

    あなたがゴミ箱に捨てられることをいやだと思わないのであればいいのではないですか。

    ただ写真が1枚入っていたら『は?』って感じですが、プリンターでカード風に印刷してメッセージが入っていれば、違和感はそんなにないと思います。ただし、申し訳ないですけどいつかは捨てます。たぶん結婚式が終わったら捨てます。私だったら自分たちの写真がたくさん出回ってどこかで捨てられるのが嫌なのでやりませんが。

    回答した人: miraimirai1114さん   3-1  この回答内容が不快なら 

     

    回答日時: 2007/11/28 00:05:22 回答番号: 42,987,661

    私も写真は要りませんね。捨てていいもんだか迷うのも面倒だし。昔で言うなら引き出物のワインや皿などに二人の写真プリントされているものと同等では?

    回答した人: factory_oasisさん   1-2  この回答内容が不快なら 

     

    回答日時: 2007/11/28 09:42:48 回答番号: 42,995,327

    会社の先輩がやはり、写真同封の招待状をもらったとの事で、ゲラゲラ笑いながらみんなに見せまわってましたよ。普通のスナップ写真ならまだしも、なんだか同封する用にわざわざ撮ったような写真で、なんだか気取ってる感じの写真で申し訳ないですが、笑っちゃいましたね。で、そのまま捨ててましたけど。確かに、「相手はどんな人だろう」って楽しみはありますよ!やめといた方がいいと思います。

     

         「写真付き切手」一面を占める大きな写真の代わりに切手が使われている。それが個性的とも言えるが。本人の写真でもなく、名前であったり、風景であったりすることが多いようなので、控えめの個性だね。

    写真付き切手(しゃしんつききって)は、切手の下のタブ部分に自分の好きな写真を入れることができる切手である。日本では2001年の日本国際切手展での試験販売を経て、20034月にスタートし、2007330日に販売を終了した。愛称はPスタンプとされた。その後、内側の余白部分に写真を入れられるフレーム切手が発売されている。

    ・見本:

    http://ameblo.jp/saotan/theme-10002638063.html

    ・どんな写真かというと…写真じゃなくて名前なんだ!

    http://plaza.rakuten.co.jp/tomsun/diary/200608220000/

     

    ☆ 結婚式招待状の模範、こんなに地味な招待状なのか。

    http://bridal.fudemame.net/paper_item/invitation/

     

         中国の招待状

    伝統的なもの:

    pop.pcpop.com/060410/2117908.html - 32k

    たて書きで:

    送呈 张日人 亲启

    谨订于二零零六年六月二十三日

    为王帅 张力 举行结婚典礼敬薄酌

    恭请张日人

    光临

    恕邀 席设天理饭店 时间 早九时 敬约

     

    現代の個性的なもの:

    米卡设计 www.mikar.cn

    もちろん写真付き!

     

    中国語関係

    ☆☆☆会話とことわざ
    有志者事竟成 →志さえあれば何事も最後には成功する
    脚踏两只船  →二股をかける
    家丑不可外揚 →内輪のごたごたは外部にさらけ出してはいけない
     癞蛤蟆想吃天鹅肉      →身のこと知らず
    対牛弾琴          →馬の耳に念仏
    三天打魚,两天晒网   →三日坊主
     
    ☆ネット動画及びその他
     
    ☆☆苦いけれども、薬になるかもしれない

    ☆中国語を第二言語としてのblog