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January 16 一人のDATA○一人の女が
いる、現れる、
どこからともなく一人の女が現れます 「ここは冬月町の駅前… 一人の若い男が駅前で誰かを待っていた… しばらく ...」その時3人の内の一人の女が駅前をうろうろしてる女の子を指してこう言った ???「…あれって佐佑理さんじゃないの?」 一人の男がそれを見てこう言った ???「佐佑理?誰なんだそれは?」 ???「昔お兄ちゃんがこの町に住んでた時の知り合いだよ」 ... 結婚期からの解放「しかしながら、日本の今日の社会は、職業に生きるひとりの女が自分の精神的な、また肉体的なエネルギーを、力一杯に注いで、生き甲斐のある仕事をなかなかあたえてくれません。こうした社会条件のもとで、"三十娘"は動揺します」(p.134) ...
その後、老僧の夢に一人の僧と一人の女が現われ、二人とも笑みを含んだ喜ばし気な顔つきで道成寺に来て老僧を礼拝して言った。 「あなたの清浄 われら二人、蛇身を捨てて善所に赴くことができました。女はトウ利天に生まれ、僧は都率天(とそつてん)に ... 真暗なステージに華やかなライトが輝いた時、ひっそりと一人の女がつぶやいた。 そして同じ時刻、何処かである視線がもう一人の男を狙う。 昭和45年、11の命が新宿の街を駆け巡る。 かけがえのない仲間たちとの出逢いと別れ。 新宿の街の片隅で、生きて ... 一人の男 『一人の男が飛行機から飛び降りる』と『父の頭をかぶって』の二部構成になっています。 前半はシュールで夢らしい嫌さがあり、後半は家族ネタ主体の嫌らしさがあります。「A man jumps out of an airplane Barry Yourgrau著作。 夢の中の1シーンにも似た雰囲気のショート・ショートを309篇集めた、目の眩むような幻覚的超短編集。 一人の男が本気で命を懸けて10年間戦った本、読みたくないですか? 「すっげ~」「圧倒された」というノンフィクションの迫力、どんな妨害や障害にもへこたれない強い精神力、男の本気、見せてやります。「長い時間をかけて絵図を書き、獲物を捕る」。 一人の男が名も知らぬ駅に迷い込む。珍妙な人々との独白。 一人対不条理世界。冗長とも冗談とも取れる長話。電車の音が鳴り響く。 エクソダス!エクソダス! 【公演日時】 2007年12月8日(土) 14:00 19:00 12月9日(日) 13:00 18:00 ... それは、故郷を離れていた一人の男が、なつかしき故郷に帰るのと同じである。 繰り返し波が打ち寄せるように我がいのちもまた現世に打ち寄せる。 そしてまた、遊べばいいじゃないか。 父も、母も、兄弟も、子も、妻も、夫も、恋人も、友だちも死して大海 ... 一通一個DATAに手紙を出した 背景、従属節 E:\中日新聞\2003.txt(82630,33) [SJIS]: 文学青年だった良太郎さんが啄木に手紙を出したのは一九〇八(明治四十一)年。受けを狙って若い女性をかたったところ、「写真鶴首(首を長く)して待上候」と返事が。いたずら心もあり、京都祇園の名妓(めいぎ)の写真を同封し返信した。 E:\中日新聞\2002.txt(3444783,153) [SJIS]: 切り紙は、手すきの紙を様々な形に切り、色を着けた民芸品で、独特の色使いや繊細さが特徴。杁本さんは十八年前、当時の北京放送のラジオ番組を偶然聴き、放送局に手紙を出したところ思いがけなく返信を受け取った。
たった一通の E:\中日新聞\2001.txt(4504141,85) [SJIS]: 趣味は、キノコ採りと家族旅行。高校時代には、弁論部で県大会優勝も。妻からもらったただ一通のラブレターを、今も大切に持っている。
を出した・見せてくれた・いただいた E:\中日新聞\2003.txt(91017,53) [SJIS]: 拓真君は世界選手権を終えて、小牧市の中野直輝市長に一通の手紙を出した。激励してもらったお礼と、四季の森ディスクゴルフ場の「年間パスポートを安く作ってください」というお願いをつづった。以前は無料だったのが有料となり、多くの練習をするにも金銭負担がのしかかり、困っているという。その願いは届くかどうか-。 E:\中日新聞\2003.txt(638106,133) [SJIS]: 私は中日ドラゴンズに入った後、三年間は二軍で暮らしました。プロに入って安心してしまったようなところがあったんです。そんな私に、姉が一通の手紙を見せてくれました。父が死ぬ前に姉に残した手紙で、姉が「もう一度見せてみよう」としたんです。 E:\中日新聞\2003.txt(1556756,49) [SJIS]: イラク戦争が始まって、三重県・津市の男性から、一通の手紙をいただいた。
意外の一通 E:\中日新聞\2001.txt(52783,25) [SJIS]: 昨年十二月、智和のもとに一通の手紙が届いた。見知らぬ差出人。封を切って、胸が熱くなった。 E:\中日新聞\2001.txt(333802,83) [SJIS]: 日進市の生田ふみさん(55)方に、下山村の公営観光施設「香恋(かれん)の館」から、一通の封書が届いた。夫の二三夫さんの詩が入賞したことを知らせる手紙だった。二三夫さんはその一カ月ほど前、急病のため五十五歳で亡くなっていた。 E:\中日新聞\2001.txt(5150677,201) [SJIS]: 風船は地面すれすれに浮かんでいた。四十年前の秋の日。風に流される風船の行方を見守っていると、畑の隅に立ててあった鍬(くわ)の柄に引っ掛かった。風船がちょっと珍しかった時代。駆け寄って手に取った風船には一通の手紙が託されていた。 E:\中日新聞\2002.txt(3624401,97) [SJIS]: 「4階〇〇号室は深夜、物音がうるさい。何とかしてください」。うちのアパートの大家さんにあてられた一通の匿名の走り書き。うるさいと名指しされているのは私だった。
NP一通 既知 単なる数字なのか? E:\中日新聞\2001.txt(4862548,101) [SJIS]: 【長野県】十五日午後三時三十分ごろ、塩尻市の郵便局から塩尻署に「市内の民家に白い粉の入ったエアメール一通が郵送された」と通報があった。同署で調べたところ、アメリカ・ユニセフが差出人のエアメールの中に、パンフレットとともに、ティッシュペーパーに包まれた白い粉が入っていた。 E:\中日新聞\1999.txt(168127,143) [SJIS]: 調べでは、藤原容疑者は同日午後八時五十五分ごろ、近所のマンション「ディアコート青地1」一階郵便箱から、住人の看護婦(24)あての証明書入り封書一通を盗んだ。 E:\中日新聞\1999.txt(562294,241) [SJIS]: 調べでは、相内容疑者は昨年十一月まで名古屋市内の業務用調理機器販売会社に勤務。集金業務は任されていなかったが、業務用冷蔵庫などの代金集金を装い、顧客の同市緑区内の精肉店経営者(42)から同年五月に現金約二百万円を、七月に額面六十万円の小切手一通をだまし取った疑い。 E:\中日新聞\1999.txt(1109917,15) [SJIS]: 応募方法は略歴一通、写真一枚(団体の場合は団体写真)と切手を張った返信用封筒一枚を四月三十日までに、〒6471752本宮町切畑、瑞雲寺内の玄峰老師頌徳会ミュージカル係=電0735(43)0228=へ。
…のは…だ E:\中日新聞\1999.txt(850414,51) [SJIS]: それを痛感させられたのが、昨年十月末、自宅に届いた一通の手紙だった。 E:\中日新聞\1999.txt(3546751,87) [SJIS]: 常滑市で生まれ育ったが、半田高校とは縁もゆかりもなかった。そんな両者を結び付けたのは、一通の手紙だった。九七(平成九)年十一月。送り主は、同校で二十年以上も教えていた半田市の箏(こと)演奏家。世代交代の必要を感じ、後継者を探していたが、演奏会などで弟子を指導する早川さんの姿を何度か見て「この人なら」。面識もなく、突然の申し入れだった。 E:\中日新聞\2000.txt(240781,19) [SJIS]: きっかけは、たった一通の電子メールだった。昨年九月、五輪代表の日韓戦の際に帰国した中田が古巣の練習に合流した。当時はベルマーレ平塚だったチームは、台風の影響で練習場が冠水するなど暗いニュースの連続。スタッフの一人がクラブの厳しい現状をメールで中田に伝えた。 E:\中日新聞\2000.txt(957889,41) [SJIS]: 【長野県】「結婚することが決まったのは、一通の手紙がきっかけでした」 E:\中日新聞\2001.txt(2335468,103) [SJIS]: 「スターバックスコーヒーの社長の話を聞きたい」。今回の「学生記者が問う」は、学生から編集部に寄せられた一通の電子メールがきっかけになった。米国シアトル生まれのコーヒーチェーン、通称「スタバ」は今、若者たちの間で大ブレイク中。日本と米国を行き来して大忙しの日本法人社長、角田雄二さん(60)に取材を申し込むと「東京の本社で会いましょう」。メールの主の愛知大三年山本友紀記者(20)と、ゼミ仲間の大杉真吾記者(20)が社長室を訪ねた。(社会部・中村清)
中の一通 既知情報 E:\中日新聞\2003.txt(761567,101) [SJIS]: 今回の企画展は、同館が所蔵しているこの旅行に関して森が春夫に送った書簡九通、森から東熈市にあてた書簡一通のほか、春夫がこの旅行を題材として後に書いた小説「女誡扇奇譚(じょかいせんきたん)」や童話「蝗(いなご)の大旅行」小説の作品集「霧社」など十四点。その他に森丑之助の写真や春夫が旅行した台湾の地図など約三十点も展示している。 E:\中日新聞\2001.txt(5449666,61) [SJIS]: 【岐阜県】古川町の宮城保育園園児が風船に付けて飛ばした手紙の一通に、長野県穂高町から返事が届き、園児らを喜ばせている。
一軒 存在 E:\中日新聞\2003.txt(133543,105) [SJIS]: ここのそばは江戸時代から。村のそば組合長林和男さん。「山手で作ったそばは風味が豊か」という。村内には十一軒のそば店があり、唐沢には九軒のそば屋が集落を成していた。 E:\中日新聞\2002.txt(2306600,31) [SJIS]: ほどなく、雰囲気の良さそうな一軒のお店が見つかり、入ってみることに。だが、夫婦2人で切り盛りしているその店は「ハングル」しか通じない。メニューもハングルのみ。注文に困ったが、その夫婦は身ぶり手ぶりで一生懸命、メニューを説明してくれた。 E:\中日新聞\2001.txt(4114039,15) [SJIS]: 近くにお茶屋が一軒。かつてお茶が盛んだった蟹江町や海部郡では、こんなお茶屋が目立っている。女性店員は「夏は抹茶アイスも売っていますよ」。手作りだそうだ。 E:\中日新聞\2001.txt(4481260,93) [SJIS]: 北端部では、古墳時代の竪穴住居跡が六軒と、これらが埋まった後に建ったとみられる掘立柱建物跡が一軒を検出。竪穴住居跡からは須恵器の高坏(たかつき)、土師(はじ)器のかめのほか「古墳から副葬品として見つかることは多くても住居跡から見つかるのは珍しい」(服部信博同センター調査課長補佐)鉄のやじりが出土した。縄文土器の破片や石のやじり、おのなども多数出た。 E:\中日新聞\2002.txt(5556242,61) [SJIS]: 一面、畑が広がる同地区のきれいな小川のほとりに、炭焼き小屋が一軒立っている。クラブの有志が四年前につくった「炭焼き塾」だ。年に二十五回、この地区に住む“ベテラン”たち二十人が集まり、炭焼きを楽しむ。
一個 E:\中日新聞\2003.txt(391819,107) [SJIS]: 山下さんも十年ほど前に同県内の親せきから苗をもらい育ててきた。二、三年前から花を咲かせはじめ昨年、初めて一個の実をつけた。甘くて香りもよく、小さく切り分けて近所に配ったところ「評判が良かった」という。
書きかけの「単数名詞句」日本語の単数数量詞
0.はじめに 数学的な数の関係は言語によって違いが生じないのだが、指示対象の数の表し方は言語によってさまざまである。特に単数の場合はもともとの数の概念が文法化を経て「不定」、「指示的な」対象を表記するようになる、ということが多く観察される(Givon1981:50)。Givon(1981:50-51)は単数数量詞の文法化をまとめている:
(1) 数量 > 指示性/ > 総称/ 表示義 共示義[1]
「一」という数の概念によって指示対象の「存在」を示すことになり、さらにその「存在」の概念が抽象化し、「総称」を表すことに至る。言い換えれば「一」にある実質的な数の意味がだんだん薄くなり、不定冠詞として文法的に働くようになることが示されている。 日本語の単数数量詞は英語の不定冠詞のように義務的に名詞に付く必要がないが、そうかといって単なる数の概念を表しているでもないようである。文法と意味の中間段階に位置づけられる日本語の単数数量詞がどういった要因で選択されるのかを検討する。
1.先行研究 日本語の数量詞は連体修飾だけでなく、名詞の後ろに置くこともできる。高見(1998)は数量詞遊離を許す名詞句は、主題化可能な名詞句に限ると述べ、主として主語と目的語をあげた。
スケールの両極端、一方は例えば数の計算、一方は冠詞になっている「一」に当たる。その中間の段階は、義務的に表示する必要がないが、ある程度指示性を帯びる。 日本語と 日本語の単数数量詞は(1)の。指示対象が単数であっても必ずしも「一」を付ける必要がないため、単数数量詞がかなり実質的な「数」の意味を示していることがいえる。
「男、タヌキ、会社員」など、日本語では裸形式の普通名詞が、ある特定の対象、不特定の対象、さらに集合全体を指すこともありうる。
(1) むかし、むかし、あるところに、おじいさんとおばあさんがありました。(『桃太郎』) (2) ある日の暮れ方のことである。一人の下人が、羅生門の下で雨やみを待っていた。(『羅生門』)
たとえ物語りの中に始めて導入された人物であっても、いちいち単複を示す必要がない。裸名詞ならばその指示対象が単数であることが自然に分かる。しかし一方で、(2)のようにわざわざ単数を付けるのはなぜだろうか。
たとえ数が表されても、さまざまな用法が入り混じっている。和語系の「ひと月」、漢語系の「三匹の子豚」、重ね方の「山々」。このような数の示し方は「一律ニ推シ難シク、又、単複ヲ区別セズシテモ、前後ノ文勢ニテ意解ス」(大槻文彦『広日本文典』P.53)。
○なくても文法的には成立するのに、なぜ単数数量詞が選択されるのか ○必ずある場所は? ひと晩? ○数量詞と描写、カメラの焦点 人物と視点の遠近法(羅生門など) ○ 情報の管理:輪 主語、暗黙の視点は「私」。 それを知っている情報として提供するかどうか。それを描写の対象にするかどうか。 既知と未知、情報の導入、新聞記事VS文学作品 連体修飾がなぜ必要なのか
「数字」に「の」格と他の連体修飾との関わり ひと晩、二晩、一花ふた花→熟語になっているから? 語順と格と名詞句の意味:「が」格(時間、場所など、背景情報が必要かどうか) 「を」格 措定文述語(語順と意味の関わり) 最も言いたいのは: 単数数量詞が不定冠詞になっている英語 それに違い形になりつつ中国語 単数数量詞が現れるルールを探りたい 数量という語彙的な意味→???→文法的な機能を果たす「不定冠詞」 不定と定の区別は?了解済み(世界で唯一のもの、その場にあるもの、前の文脈にあるもの)She is a woman. He is an engineer. He is a student. 属性を表す不定 この間に何があるのか。 対訳に役に立つ? ○ 主語の場合は「一人の男が彼を叩いた」→ ある既知のグループの中の一人。 「羅生門、一人の男が階段を上っている」→背景あり、映画みたい、ズームアップしている [1] 原文:quantification > referentiality > genericity / / denotation connotation 「表示義」とは第一次的な意味、誰が見ても同じ意味。「共示義」とは第二次的な意味、文化や個々の人によって違ってくる。訳語は池上(1984)『記号論の招待』を参照。 一人DATA総称 D:\20071202\CASTELJ2000\BOOKDATA\J07282.txt(1129,23) [SJIS]: 7章-日本の個人主義 物理的密着と心理的遮断 パチンコ台の前に座ったひとりの人間は、ほとんど他者の存在を意識することなく、もっぱらみずからの前にある一台のパチンコの盤面上をめまぐるしく回転する玉の流れに精神を集中し、完全にそのゲームのなかに自らを没入させてしまっているのである。 D:\20071202\CASTELJ2000\BOOKDATA\J06482.txt(601,105) [SJIS]: たとえそれらの工程が自動化され、コンピューターによってコントロールされるロボットが実作業を行うとしても、一人の人間はいずれかの職場に属してロボットの仕事を管理しているわけである。
二人のなかの一人 お嫁さんは、一生懸命に台所で手の込んだ料理をしている。 四時かそこらであろう。 一人の子供は背負っている。 一人の子供ははってくる。 はってくる子どもを踏みつぶし、踏みつぶし、(中略)まつわりついてくる男の子の頭をしかりつけひっぱたきながら、一生懸命料理をしている。
中の一人 水くさい神さま ユダヤ人の間では、申命典という大昔の律法に記された規定によって、全収入の十分の一はかならずユダヤ教の教団に納めなければならない、いわば神の「源泉徴収」であるが、日本の源泉徴収とちがって、アルバイトの収入でも、取引先からの贈り物でも、すべて例外なしというから、これは日常生活の上ではたいへん煩わしい負担である。 ベンダサンの「日本人とユダヤ人」に出ている話に、日本に住んでいる一人のユダヤ人は、七人も子どもがいて、生活が苦しいところから、このお金を収めるために、三度の食事を二度にした。 E:\中日新聞\2003.txt(1950506,31) [SJIS]: 永 インターネット時代では、一人の若者が発信するものが、テレビを超える力を持つかもしれません。そんな時代に、テレビがどうなるのかを見届けたい。膳場さんのような若い人が、こういう番組が作りたいんだというものを提案し、それが番組化される状況であってほしい。今はテレビ局でなく、小さな制作会社に才能がいると期待しています。 E:\中日新聞\2003.txt(2490505,25) [SJIS]: 講演の最後に、会場から一人の男性がかみついた。「劣化ウラン弾は放射線量が少ないはず。本当にその影響か。立証できるのか」 D:\20071202\CASTELJ2000\BOOKDATA\J10742.txt(1890,9) [SJIS]: この国の一人の男が、もし天地がくずれ落ちたら、身のおきどころがなくなりはしないだろうかと心配し、夜も眠れず、飯ものどを通らなくなった。
対比、非指示的 D:\20071202\CASTELJ2000\BOOKDATA\J06482.txt(1642,33) [SJIS]: 社会的な展望のもとに眺めれば、一人の人間がどんなに■いてみても、所詮彼の「労働」は売れる商品を生産する行為でしかなく、しかも個人はその生産のほんの一部にしか参加し得ず、作られたものはどこの誰に使ってもらえるのかもわからない、という空しさを否定出来ない。 D:\20071202\CASTELJ2000\BOOKDATA\JB8522.txt(1695,83) [SJIS]: 新種の誕生や種の絶滅は何十万年、何百万年という地質学的な時間内の出来事であって、一人の人間が生きて、体験できる時間は種の変化を見届けるにはあまりにも短すぎ、感知できないというだけである。
限定する役割 指示的 私が東京外国語大学に勤めていたときに逢った一人のアメリカ人は、日本人が「ぼつぼつ」という副詞を使う、あれが困ると言っていた。 「ではボツボツ出かけましょう」と言われて、どのように出かけたらいいか困る。 E:\中日新聞\2003.txt(873927,117) [SJIS]: 技術はドラマの内容が伴って初めて成果を現す。「リターナー」(02年/東宝ビデオ)は、未来の人類の危機を救うために、一人の少女が時空を超えて現在に来る物語。これに現実味を感じるかどうかは、日常のリアリティーの描写にかかっている。 E:\中日新聞\2003.txt(5245660,73) [SJIS]: 続いて、アラファト氏に代わる何人かのリーダー候補の名が挙がった。だが、一人の男性が言ったのだ。「おれは、アラファトのままがいいな」。みんなが意外そうに彼を見た。男性は言った。「当然だろ! まだ何も盗んでいない泥棒より、もう腹いっぱい盗んだ泥棒の方が、ましさ」 E:\中日新聞\2003.txt(4464741,107) [SJIS]: 「木を植えた人」は約五十年前にフランスの作家、ジャン・ジオノが描いた物語。三十年以上どんぐりを植え続けた一人の男の人生が語られる。木は育ち、やがて少しずつ森ができ、見捨てられた廃虚の町が希望に満ち、活気ある場所へと変わっていく。
(突然)現れた E:\中日新聞\2003.txt(4855257,157) [SJIS]: 開講しているのは同市共和町の小倉重男さん。もともと英語が好きで、旧制中学に在学していた昭和初期、名古屋市内の自宅近くの路上で英語の原書を読んでいたところ、一人の宣教師に声を掛けられた。「そんなに英語が好きなら教えるから家に来なさい」 D:\20071202\CASTELJ2000\BOOKDATA\JKENT2.txt(406,23) [SJIS]: すると、橋の向こうから一人の少女がやって来る。 (2) 今、公園の池にかかっている橋の辺りに目を向けているとしよう。 すると、橋の向こうから一人の少女がやって来る。 目はその少女に引きつけられる。 このとき、橋や池など周辺のものはすべて、単なる背景になってしまう。 カメラでいえば、あっという間に、ピントが少女に合わせられてしまうのである。 ところが逆に、その橋の形が珍しく、それに注目しているときは、その上を通る人などは背景になってしまう。 (桑原茂夫「ちょっと立ち止まって」『国語』光村図書出版による) D:\20071202\CASTELJ2000\BOOKDATA\J07432.txt(2141,63) [SJIS]: ある夜のこと、私は私の前を私と同じように提灯なしで歩いてゆく一人の男があるのに気がついた。 E:\中日新聞\2003.txt(4013104,19) [SJIS]: しばらくすると、一人の男性が赤色ごみ袋を捨てに来た。池田さんはすぐに近寄り、「きょうは赤色でないよ。緑色のプラスチックの日」。男性は引き返していった。 E:\中日新聞\2003.txt(4693014,57) [SJIS]: 始業式が終わった後、木下さんらのもとに草笛を握りしめた一人の男の子が駆け寄った。そして、うれしそうに話した。「先生、音が出たよ」(丸田稔之)
その中の一人、突然現れた人? E:\中日新聞\2003.txt(301925,51) [SJIS]: 犯行後、白色の乗用車が北方へ向け急発進したほか、一人の若い男が現場から南に走って逃げていくのが見えたという。同署は暴力団同士のトラブルがなかったか調べている。
一人のNPを D:\20071202\CASTELJ2000\BOOKDATA\J06482.txt(772,65) [SJIS]: この作品は、スターリン時代の強制収容所(ラーゲル)に捕われている一人の男の一日を描き出したものであり、必ずしも労働のみが主題となっているわけではないが、その中で大きなウェイトをしめ、読む者を惹きつけてやまないのは、なんといっても労働場面の光景である。 D:\20071202\CASTELJ2000\BOOKDATA\J10742.txt(345,45) [SJIS]: 天下千百の朋友を得る、容易なり、しかして一人の知己を獲る難し。 E:\中日新聞\2003.txt(27831,63) [SJIS]: 思わず、両ひざに置いた手をぎゅっと握り締めた。「国籍でなく、一人の人間をちゃんと見てくれた」。長かった就職活動がこの日、終わった。 E:\中日新聞\2003.txt(414509,111) [SJIS]: フランス語で結婚という意味のタイトルの作品に取り組んだ川口は「結婚に漠然とあこがれや不安を抱いていた女性が、一人の男性に運命を託して、結婚するまでを、ストラビンスキーの特殊な音楽と融合させながら、踊りでしかできない表現で示したい」と話す。 E:\中日新聞\2003.txt(5353383,13) [SJIS]: そんな時、一人の女性の言葉を思い出した。
対比 E:\中日新聞\2003.txt(730319,35) [SJIS]: 楼門近くでも多くの負傷者が出た。一人の神男をめがけ、数千人の裸男たちが押し合うため、男たちの渦の中に一度入れば自由に出入りできない。最終局面の儺追殿前ではなおさらだ。 E:\中日新聞\2003.txt(5407080,43) [SJIS]: 社会科教師として十三年ぶりに戻った母校。一人の生徒を退学させるかどうかで朝まで続いた職員会議。「生徒の一生の問題をおろそかにはできない」という同僚に胸が熱くなった。 E:\中日新聞\2003.txt(5593952,39) [SJIS]: 地球上の小さな島国で、争いがぼっ発。一人の男をめぐり、後に引けなくなった二人の女の恋の争い、休戦、和解を通じ、女の子の胸の内を探究していく。 E:\中日新聞\2003.txt(6496200,41) [SJIS]: 物語は、運命に引き裂かれた姉妹を軸に、一人の男をめぐる彼女たちの対立や父母らの三角関係など愛憎劇を、三十年にわたる時間の中で描く。姉妹の間で揺れる男を演じる西村和彦は、ボタンとバラの花を二人に重ねて「今の段階では選べません」と笑わせた。
その中の一人、対比 D:\20071202\CASTELJ2000\BOOKDATA\J06642.txt(463,125) [SJIS]: その山の頂に真奈井とよぶ泉があって、天女が八人降ってきて水浴みをした和奈佐の老夫と和奈佐の老婦という老夫婦が、ひそかに天女のひとりの衣をかくしたので、衣のある天女は天に飛びかえり、ひとりの天女だけが地上にとりのこされる。 D:\20071202\CASTELJ2000\BOOKDATA\J06642.txt(706,11) 御卜の儀式は、三時祭のある月の十五日の夕刻におこなわれるが、まつりに奉仕するものひとりひとりについて、神慮にかなうか否かをうかがうのである。 御トは歴名、口嘯、琴板の三つによっておこなわれる。 所役のものが祭主をはじめひとりひとりの職名と名を読みあげる。 他の所役が息を吸いこんでヒュッと口笛をならす。 するといまひとりの所役が笏をもって琴板をコンとうつ。 神慮にかなったしるしである(桜井勝之進『伊勢神宮』)。
がひとり: その中のひとり D:\20071202\CASTELJ2000\KOMATSU\KS0165.txt(146,51) [SJIS]: プラットフォームには、人影はまばらだったが、駅員が一人二人、あわただしく走っていた。停電でドアがあかないようだった。――時計を見ると、七時二十分をすこしまわっていた。定刻より十分余りおくれている。 D:\20071202\CASTELJ2000\KOMATSU\KS0165.txt(147,213) [SJIS]: 天井の明りが、二、三度息づいてもとどおり点灯すると、床下でコンプレッサーがごとごとまわりはじめた。列車はブレーカーの音をひびかせながらわずかに進み、やっと定位置にとまった。ドアがあいて、十号車にも大学生らしい若者が一人のりこんできたが、列車はそのまま発車する気配がない。 D:\20071202\CASTELJ2000\KOMATSU\KS0165.txt(471,47) [SJIS]: 部屋の奥の、簡単な応接セットの椅子に、小柄な男が一人、上衣[うわぎ]をぬいで外を見ながら、ぼんやり煙草をふかしていた。--朝倉より一期あとで入社した、吉武係長だった。朝倉の姿を見ると、吉武はゆっくり立ち上って、後頭部をぼりぼりとかいた。 D:\20071202\CASTELJ2000\KOMATSU\KS0174.txt(6,139) [SJIS]: 客は男が四人--それが幸運でもあり、このタウンの中央ブロックの全住人でもあった。それから話の途中でそっとはいって来た、見知らぬ美しい女性が一人。--話を中断されるのを博士が極端にきらうので、お互いに黙礼しあっただけだったが、彼女がはいって来たとたんに、重力発生装置のように若い連中の心をぴったり吸いよせてしまった。とりわけ僕は--彼女こそは僕が、このひどい女ひでりの惑星で、長年にわたって夢想して来た理想のタイプの女性だったのである! D:\20071202\CASTELJ2000\KOMATSU\KS0246.txt(3,49) [SJIS]: 宇宙空港のすぐ傍の岡の上にある小さなバーに、男が一人はいってきた。 金のかかった、風がわりな身なりをして、キョトキョトした眼つきで、まわりを見まわす様子は、一眼でどこかの恒星系植民地で一山あてた成金と知れた。 D:\20071202\CASTELJ2000\BOOKDATA\J04102.txt(1373,49) [SJIS]: そうして、提案理由として、空手は、健康によいのみならず、精神の修養にもなる云々ということを長々と説明しはじめた。 そうしたところが、はなしなかばにアメリカ人の教授が一人不思議そうな顔をしながら質疑を試み、「アナタハナゼソンナコトヲ言ウノデスカ。体ガ丈夫ニナッテオモシロケレバソレデイイデハアリマセンカ」言ったのは印象的だった。 D:\20071202\CASTELJ2000\KOMATSU\KS0269.txt(3416,107) [SJIS]: ロビーを、正面玄関の方へ歩いて行きながら、彼は誰かいないかと眼で探した。ガラス・ドアの所に表を向いて、男が一人ぼんやり立っていた。――玉木だった。 D:\20071202\CASTELJ2000\KOMATSU\KS0555.txt(1180,63) [SJIS]: 船中には、不精鬚をはやしてよれよれの服を着たアメリカ人の先客が一人いた。あいさつをかわすと、中西部の建築プランナーで、独身なので、一年のうち半分を、世界あちこち旅をしている、という。中国ももう二カ月以上、各地をふらふらしている。途中で一度香港へ出てビザを更新し、シルクロードをウルムチまで、青蔵高原をラサまでいって、これから内蒙古、東北をまわる、という。 D:\20071202\CASTELJ2000\KOMATSU\KS1271.txt(382,171) [SJIS]: 窓際のずっとむこうのテーブルに、若いカップルが一組、男は灰褐色[はいかつしよく]の髪で女は東洋系--それに、カウンターに、茶色の鬚[ひげ]をもじゃもじゃはやした中年の男が一人、新聞を読みながら、でっかいミルクセーキを飲み、ピザを食っている。 D:\20071202\CASTELJ2000\KOMATSU\KS0911.txt(620,31) [SJIS]: 私が返事に窮していると、小女が一人はいって来て、主人に耳打ちし、朝大人はちょっと失礼といって席をたった。 一人で D:\20071202\CASTELJ2000\BOOKDATA\J06982.txt(471,87) [SJIS]: 次に地蔵菩薩であるが、これはいうまでもなく幼児や子供たちの守り神であり、守り本尊である。 観音菩薩が女体をとっているのに対して、この地蔵菩薩は若くて、ういういしい僧の姿をしている。 頭頂を剃り、わらじをはき、手に錫杖をもっている。 寺の境内はもとより、街のはずれや村の■々をはじめとして、どんな山間僻地にもこの地蔵菩薩がひとりさびしげに立っている。 D:\20071202\CASTELJ2000\BOOKDATA\J08732.txt(2168,47) [SJIS]: 嘘から出た真で、いったんことばに出せば、ことばが一人歩きして現実にならぬとも限らない。 D:\20071202\CASTELJ2000\BOOKDATA\J09192.txt(735,39) [SJIS]: 上田敏の有名な訳詩集『海潮音』の中の「山のあなた」(カアル・ブッセ)に、 噫、われひとと尋(と)めゆきて、 涙さしぐみかへりきぬ。 というのがある。 「さしぐむ」とは“さし含む”、つまり涙がひとりでに湧いて、まぶたにたまることだから「涙ぐむ」と同じ意味だ。 今日では使われない語だけに、せっかくの名訳も理解しがたくなってきた。
漫才(いくつかあり)『キャンプ情報`97』 97 03/24北沢タウンホール
「高田文夫プロデュース OWARAIゴールドラッシュII」ネタ卸し 水: さあ、と言うわけで、謹慎明け3発目のライブですけど。
でも、今年は出直しってことで、 漫才バリバリやりますよ。 玉: いいえ、あんたは、犯罪バリバリやってください。
水; だから、もう、やらないよ。
玉: ちなみに、今のは、漫才と犯罪をかけた、シャレですよ、
お客さん。わかりました? 水: いちいち、説明するなよ。
俺はそういう、こぶ平みたいなダジャレが、 大嫌いなんだよ。 玉: この人、こういうボキャブラみたいなの
ほんとに嫌いなんだ。 水: 嫌いだよ。
玉: 司会のタモリが嫌いなんだよ。
水: タモさんは嫌いじゃないよ。
玉: タモリも嫌い、ヒロミも嫌い、
ナイナイも嫌い、ダウンタウンも、ウンナンも嫌い、 水: おまえが嫌いなんじゃねぇか。
玉: 浅草キッドが売れねぇはずだよ!
水: オレのせいにすんなよ。
玉: なに言ってんだこの前科持ちの犯罪者が。
水: そいいう言い方はないだろう。
まあ、皆さん、 前科って言つても、たかが、 道路交通法違反なんですけどね。 玉: まて。
おまえは、なにも、反省していないな。 なにが、たかがだ。 水: いや、おまえが怒ることはないだろう。
玉: あのな、あんたも30過ぎた大人なんだから、
分別つけろよ。 水: おまえに、言われたくないよ。
玉: ええ、これが、変装免許証の写真ですよ。
こんな、乞食みたいなカツラかぶって キジガイじみた目がねかけて、 ギブスつけてカタワものの真似をして やっていいことと、悪いことの区別をつけろ。 テレビにでる人間としての自覚をもて。 水: おまえこそ、テレビに出る人間として、
言っていいことと、悪いことの自覚をもて。 放送禁止用語だらけだよ。 玉: 乞食くらいはいいでしょう。
水: だから、だめだよ。
せめて、乞食じゃなく、蛭子とかいいかえろよ。 玉: 乞食って、蛭子能収さんに対して、失礼な。
蛭子さんは、いい人じゃないですか。 水: 世の中の連中は騙されてんだよ。
蛭子はな、人畜無害のお人良しを装った、 腹黒い、守銭奴なんだよ。 玉: 性格よさそうじゃない。
水: あんなもん、性格破綻者だよ。
ギャンブル狂いの賭け麻雀の常習者だ。 玉: 才能あるじゃない。漫画家だし。
水: 便所の落書き以下だよ。
ストーリー書けないのを、 シュールだって勘違いされただけ。 玉: 庶民的じゃない。
水: あれだけ、能天気にテレビでて、
年収1億円の庶民がどこにいる。 玉: とんでもねぇ、悪党だ!
頭きた。あの乞食くずれ。 水: あのな、ちょっと待て。
乞食はもう、くずれようがないだろ。 玉: うるせぇ。この犯罪者くずれ。
水: オレにまで、くずれって言うな。
あがりとか、言え。 玉: じゃあ、この刑務所あがり。
水: だから、務所には、入ってないよ。
少しは、オレのイメージを変えろよ。 お客さんまで、そう言う目でオレをみるだろう。 玉: でも、博士、今回の事件、そして、謹慎ってのは、
まぁ、プロ野球選手の故障みたいなもんですよ。 水: そう、そう、そんなもんだよ。
玉: 絶対、ひじとか、故障したって、力のある選手は
帰ってくるんですよ。 水: そう、そう、巨人の桑田だって
今シーズンから、故障治して、帰ってくるし。 玉: 中日の中山だって、博士と同じ故障でも、 見事にカムバックしました。 中日0610-06202007年6月10日
観光案内風にいえば森と湖、オーロラ、ムーミンで知られる国、フィンランドは日本から遠いようだが、ロシアを挟んで「隣国」になる。面積は日本よりやや小さく人口は約五百二十万人。専門家の間では自殺予防に成功した国として知られる
▼人口十万人当たりの自殺者数を表す自殺率が一九九〇年には三〇を超えていたが、総合的な予防対策を十年以上続けることで、30%減に成功した。世界保健機関は「自殺は、その多くが防ぐことのできる社会的な問題」と定義づけているが、それを証明している
▼日本では昨年の自殺者の数が警察庁の調べで三万二千百五十五人に上り、九年連続で三万人を超えた。その十倍から二十倍は自殺未遂者がいると推定される。自殺や自殺未遂が一件起きると、少なくとも強い絆(きずな)のあった人のうち五人は深刻な心理的影響を受けるという見方もある
▼事態の深刻さからすると遅まきの対応になるが、政府が先日の閣議で自殺総合対策大綱を決定した。自殺率を二〇一六年までに20%以上減らすのが数値上の目標になる
▼秋田県で自殺予防に取り組む秋田大学の本橋豊教授は『自殺が減ったまち』(岩波書店)で、自治体が特色を生かして切磋(せっさ)琢磨(たくま)すれば、自殺者数の減少ははるかに現実味を帯びると報告している。都道府県レベルの対策ならフィンランドの成功事例も適用できる
▼本橋さんは「安心して悩むことができる社会を」とも訴えている。自殺者をみんなで減らしていこうとする過程は、幸福な社会とは何かを考える過程と重なる気がする。
2007年6月12日
四十七年前の六月、国会周辺は市民や学生たちのデモで騒然とした。六〇年安保闘争だ
▼首相岸信介氏らは自衛隊の治安出動を考えた。が、防衛庁長官の赤城宗徳氏は「できません」。出動して流血の事態になれば、自衛隊は国民の敵になっただろう。赤城氏は周囲に「日米安保とともに、自衛隊の存在も守らないといけない」と言った。氏の孫で農水相の赤城徳彦氏が前に語った話だ
▼自衛隊は国民とともにある。そんな存在理由をあらためて教える話。被災地救援を見ても、自衛隊が国民を守るための組織であることを疑う人はいまい。だから、自衛隊のイラク派遣に反対の人を陸自の情報保全隊が監視して、「反自衛隊活動」などと記録したという文書の話は驚く
▼自衛隊の活動にどんな意見があるのか。そうした情報の収集自体は「けしからぬ」ものではなかろう。が、各紙の報道では、自衛隊の後援団体の会合で派遣に反対した民主党議員の発言を「反自衛隊活動」と記した事例があった。賛否両論の報道を「反自衛隊」と書いた記載も
▼「陸軍第一、国家第二」。暴走しがちな陸軍の思想を戦時そうたとえた人がいた。反省から戦後は政治が優位に立つ文民統制が機能し、自衛隊は政治的に中立のはずなのに、政治家や報道を「反自衛隊」と決めつける。これでは自由な意見の表明を萎縮(いしゅく)させかねず、民主国家とは言えない
▼中央省庁には時に「組織第一、国民第二」の姿勢が見えるが、自衛隊もそうなら由々しい。「日本は国民が主役の国」と常に考える組織でなければならない。
2007年6月13日
ジョージ・プリンプトン氏は四年前に他界した米国の著名なスポーツ作家。著書『ボギー・マン』で友人のこんな体験を紹介する
▼有名なゴルフ・トーナメントを観戦したとき。コースに設けられたトイレで用を足して外に出たら、そばでアーノルド・パーマーがクラブを振りあげようとするところだった。友人は慌ててトイレに引っ込んだ。するとパーマーがドアをノックして「出てきてくれ。こっちはべつに急がないんだ」
▼出れば大勢のギャラリーに笑われると考えた友人は「いや、お先にどうぞ」。パーマーの離れる音が聞こえ、周囲も静かになった。が、再びパーマーがドアを叩(たた)き恐縮した声で「あんたがその箱の中にいると思うと集中できないんだ」。友人はトイレを出て、爆笑につつまれた…
▼ゴルフ界の英雄パーマーでも容易ではない、コースでの精神集中。先の関東アマチュア選手権の喧騒(けんそう)を見たら英雄は何と言ったか。新星の石川遼選手が出場とあって多数のギャラリーが詰めかけ、競技中に携帯電話で写真を撮る人もいたという。中でも驚くのがTBSの取材方法だ
▼石川選手の声を拾うため同伴競技者に小型マイクの装着を頼んで拒否された。無断でヘリコプター取材を行い、競技の進行を妨げた。さすがに主催者側に謝罪したが、石川選手を「ハニカミ王子」なるタレントとして消費するかのようだ
▼競技を中断させて外に出たトイレの彼に、パーマーは困ったような真剣な顔で「邪魔してすまなかった」と謝ったとか。競技者も観戦者も敬意と礼儀が基本である。
2007年6月14日
<拾われたそうだと手燭(てしょく)外で消し>。江戸期の川柳集『誹風(はいふう)柳多留(やなぎだる)』にある作品だ
▼子宝に恵まれない夫婦が、街に捨て子があったと聞いて「拾って育てよう」と決める。夕闇迫る中を夫は出かけ、やがて火を消した手燭だけを持って帰って「誰かに拾われたそうだよ」。妻は「おや、そうかい。ちょっと残念だよ」と拍子抜けした様子だ…。渡辺信一郎さんの『江戸川柳』の解説である
▼庶民の生活の情景に加え、子どものいない夫婦の寂しさや子への慈愛が凝縮され、渡辺さんは「川柳点の最高傑作の一つ」と言う。きっと質素な暮らしだが、夫婦にはそれで十分。ただ子どもという宝を授かり、親となって、その愛情を注ぎたかったのだろう。人の素朴な願いというべきか
▼養老孟司東大名誉教授たちが都内で「『親になる』を考える会」の設立を発表した。親になる意味を積極的にとらえ直し、家族のきずなについて新しい価値観を提案して、少子化の流れを食い止めたいという。公開討論会などを開いていき、「親になるっていいよ」と若い世代に訴える集まりだ
▼今は多様な価値観がある。子どもを育てるには無論苦労もある。<子を持てるものは、其恩愛(そのおんない)にひかれてこそ苦労はすれ>と江戸期の俳人横井也有(やゆう)は書く。子どもへの愛情というものはだれの心にもあるはずで、子を持てば苦労にまさる幸福感を与えるのだろう。それを若い人にもっと知ってもらえればいい▼あの夫婦はその後、宝を授かっただろうか。川柳の話でも親子三人むつまじく暮らす姿を想像したくなる。
2007年6月15日
軽快な旋律に乗った愉快な歌詞は、何度聞いてもおかしみを覚える。男声コーラス「デュークエイセス」の演奏などでよく知られる、「筑波山麓(さんろく)合唱団」だ
▼マウントツクバのフロッグ(蛙(かえる))コーラス。セカンドテナーはアマガエルでベースはガマガエル、バリトンはトノサマガエルでテナーはカジカというメンバーだ。ケロケロ、ケケケなどと楽しくにぎやかなハーモニーを奏でる
▼<思ほえず来ましし君を佐保川のかはづ聞かせず帰しつるかも>。思いもかけずおでましくださったわが君をカジカガエルの声もお聞かせしないでお帰しした…という万葉集の歌である。古来、日本人は小さな生き物の声をも愛(め)でてきて、だから蛙の合唱団も実に日本的な歌なのだろう
▼昨日多くの地域が梅雨入りし、蛙の合唱団が場所によってはにぎやかすぎるくらい元気になる季節を迎えた。でも気になる話がある。国内の野生の蛙で初めてカエルツボカビへの感染が確認されたという。両生類を高い割合で死なせ、蛙などが世界的に減少している原因の一つとして報告されている
▼昨年末には飼育されている蛙で感染が分かった。蛙が大幅に減るようならこれを食べるヘビや鳥にも打撃が及ぶ。蛙が食べる害虫の増加も考えられ、弱った生態系に一層負担のかかる恐れも出てくる。環境省は今夏にも全国調査をする方針といい、今の合唱は警鐘のようにも聞こえる
▼その歌声がよもや仲間へのレクイエム(鎮魂曲)などにならないことを。ケロケロと、いのちの賛歌が聞こえる環境を守りたいものだ。
2007年6月16日
♪君に逢(あ)ううれしさの 胸にふかく水色のハンカチを ひそめる ならわしが…。ふと口ずさむ方もいよう
▼昨年、百二歳で他界した作曲家高木東六(とうろく)さんの名曲「水色のワルツ」。空襲で家を焼かれ疎開した信州伊那で七年半暮らし、天竜川のほとりを散歩するのが日課となった。曲想が浮かんだのは散歩の途中で、一気に書いた譜面を作詞家の藤浦洸(こう)さんに送り、名曲が誕生した
▼後には名誉市民に選ばれるなど、伊那は高木さんの音楽人生にとって大事な土地。そこの女性のお年寄りたちが今度、高木さんの遺志を継ごうと合唱団を結成した。十一日の発足式と初練習には上伊那地方の六十歳から八十一歳までの八十六人が集まったという
▼「ザ・シワクチャーズ伊那」が合唱団の名前。高木さんは晩年、自宅のある横浜で女性のお年寄りたちだけの合唱団「ザ・シワクチャーズ横浜」を指導し、伊那はさながら妹分。初練習では高木さんの長女緑さんが講師を務め、八十一歳の女性は「大好きな歌が歌えて自分の場所ができたようです」
▼高木さんは九十四歳のとき「きんさん、ぎんさん」のきんさんを訪ねた。自分の合唱団の「応援団」に名を連ねてくれたお礼で、自分より年上のきんさんに感激し、手にキスをした。きんさんは翌年百七歳で亡くなって再会はかなわなかったが、「私も百歳まで頑張る」と高木さんの長寿の支えになったそうだ
▼今はお年寄りには大変な時代。それで一層天界の高木さんは「皆さんも百歳まで頑張って」と、合唱団に声援を送っているに違いない。
2007年6月17日
二人の娘の父親だった詩人の萩原朔太郎には「父は永遠に悲壮である」との警句がある。詩作に生きて家庭をほとんど顧みなかったという朔太郎の人生を思わず想像してしまう
▼今日は「父の日」。アサヒビールが全国の男女約千五百人を対象に行ったインターネット調査では、理想の父親像として「いざという時頼れる」と「家族思いで優しい」が複数回答で50%前後に上った。自分の父親の採点では平均点が六十七点で、八十点台の回答は全体の約20%。今の父親は評価されている方ではないか
▼朔太郎も実は理想の父親像に近かったのかもしれない。長女の故萩原葉子さんは「言葉を交わすことは、まったくないのだが、大きな愛は感じるので、いざという時は救ってくれると、思った」と書き残している
▼朔太郎に幸いしたのは、自宅で執筆していたことだ。葉子さんはその姿を見ることで文学の厳しさを感じ、父親を尊敬するようになったという。凡人に朔太郎のまねはできないが、働く姿を子どもに見せることは大事らしい
▼<おとうさんが湯から/あがってきた/ぼくがそのあとに入った/底板をとったら/すこし砂があった/ぼくたちのために/はたらいたからだ>。児童文学作家の故灰谷健次郎さんが「子どもの詩に見る父の像」と題した随筆の中で紹介した小学六年男児の詩だ
▼灰谷さんは「子どもは親の生活が、自分にしっかりつながってあるということを自覚したとき、この上なく優しい」と断言する。悲壮であるかないかは、ひとえに父親次第なのだろう。
2007年6月18日
行政で責任のある立場にいた人が回顧録を書く文化が日本には根付いていないが、歴史の検証には本来不可欠だろう。旧厚生省の外郭団体が二十年ほど前に発刊した『厚生年金保険制度回顧録』は、官僚の本音を知るうえで貴重な資料になる
▼証言者は元年金課長。社会保険庁長官や年金局長のOBである聞き手を前に、厚生年金の創設期に絡めて「基金や財団をつくれば厚生省の連中がOBになった時の勤め口に困らない」と回顧したかと思えば、「年金を払うのは先のことだから、今のうち、どんどん使ってしまっても構わない」と保険料流用の勧めとも取れる発言をしている
▼国会で取り上げられ、柳沢伯夫厚生労働相は「草創期には乱暴、粗雑極まりない議論があった」と過去の話であることを強調したが、そうは思えない。天下りと保険料の無駄遣いは今日的な問題。年金記録の不備の底流にも、国民の大事なお金を預かっているという意識の欠如を感じる
▼厚生労働省特有のことではない。最近では水門設備工事をめぐる談合で、国土交通省職員の関与が認定された。天下り先を確保するための癒着は、摘発された農林水産省所管の「緑資源機構」の談合と同じ構図だ
▼国有財産をめぐっては、財務省の有識者会議が有効活用を提言した。不要な施設の売却などで約一兆六千億円の収入を見込めるという。言い換えれば、税金をそれだけ無駄に使ってきたということだ
▼過ちを繰り返さないためにはどこを改めるべきなのか。徹底した検証が必要なのは、年金記録にとどまらない。
2007年6月19日
詩人の新川和江さんは子どものことを「歌」という詩の中で<いたいけな無防備なもの>と表現している。赤ちゃんは最たるものだろう。自分の意思ではなくてもこの世に生をうければ、いいことも悪いこともすべて降りかかってくる
▼親がどうしても守れないとき、どうするのか。子捨ての助長につながってはいけないが、命を救うための最終手段は必要と悩んだ末の結果が、熊本市の慈恵病院による「赤ちゃんポスト」(こうのとりのゆりかご)の設置だ。匿名で受け入れるが、新たに赤ちゃん二人が預けられていたことが分かった
▼開設初日には三歳程度の男児が預けられている。運用開始一カ月余で三人という数字は、関係者の予想を上回っている。運用の見直しを求める声もあるが、命が救われているという重みはある
▼子育てをする環境が予想以上に悪化しているとの解釈も成立する。赤ちゃんポスト設置と時期を合わせて熊本市が設置した相談電話には、一カ月間で昨年一年間分に当たる約百件の相談があった。慈恵病院の相談窓口には「虐待しそう」という叫び声も届いている
▼熊本市内では子育てが大変という話ではない。赤ちゃんポストの設置と同時に展開された「まず相談を」というキャンペーンが功を奏し、県外からの深刻な相談が少なくない。慈恵病院の蓮田太二副院長は「県外の自治体の相談窓口がうまく機能していない」「ゆりかごは県外でも必要」と問題提起している
▼動きだした「ゆりかご」は、何を警告しようとしているのか。社会全体で共有したい。
2007年6月20日
憲政の神様といわれる尾崎行雄は九十三歳で『わが遺言』と題した本を著している。無形の財産である知識や経験は年とともに増し、死ぬ前がもっとも豊富になる。故に最後まで利用の道を考えねばならぬ。これが尾崎の考え方だった。<越し方は今より後のしるべぞと/知れば貴し悔いも悩みも>という一首も残している
▼国会はいかにあるべきか。「遺言」に耳を傾けると、「打ちとけて国家全体のために懇談熟議すべき場所」と論じている。熟議とは「おのおの己の主張はあるけれども、それはごく穏やかに述べてお互いに譲る」ことを意味する
▼現在の国会を尾崎はどう論評するのだろう。会期末が迫る中、年金記録の不備に対応する特例法案や社会保険庁改革関連法案など、まさに重要法案をめぐり与野党が全面的に対立している。熟議の世界とはほど遠い
▼政府と与党の論理では、法案を成立させることが責任を果たすことになる。参議院における「数の力」で野党の抵抗を封じていくのだろう。安倍晋三首相には、下降した内閣支持率を反転させるには強い指導力を発揮することが必要、との判断があるのかもしれない
▼もちろん無制限で審議を続けるわけにはいかない。審議を尽くしたら採決を行うのは当然だ。しかし政府と与党は、衆院の七割から八割の審議時間を参院で確保することを採決の判断基準にしているという。それで審議を尽くしたとは言えない
▼参議院選挙も迫っている。国会で熟議できないことは、国民に直接判断を仰げばいい。小泉政権に例がある。
小さなぼく夏休みを控えて、本格的な暑さを感じてくる7月、プレイステーション・ドットコムの注目ソフトは、爽やかな風を感じられるタイトルがそろい踏み。PLAYSTATION®3のビッグタイトル、7月5日発売予定の『ぼくのなつやすみ 3 -北国篇- 小さなボクの大草原』と、7月26日発売予定の『みんなのGOLF 5』(以上ソニー・コンピュータエンタテインメント)は、大自然に囲まれてひと足早く夏休み気分を楽しみたい人にオススメだ。どちらも、PLAYSTATION®3に舞台を移して登場する、人気シリーズ最新作なのも注目ポイントだ。PLAYSTATION®3の魅力を存分に味わうなら、7月26日発売予定の『湾岸ミッドナイト』(元気)も見逃せないタイトルだ。屋外で遊ぶ機会がますます増えるこの季節、PSP®ユーザーは同じ7月26日に発売予定の『サルゲッチュ サルサル大作戦』も要チェック! とりあえず32007年08月06日(月曜日)
【国語】 とりあえずといちおう 「とりあえず」という言葉は非常によく使われる。口癖のように1分間に1回はそれを口にする人間もいるくらいだ。しかし、さて、どういう意味だろう、と真剣に考えてみると、これがなかなか説明が難しい。 辞書によれば、「たちまちに」「たちどころに」という意味が載っているが、この意味での使用は現在あまり耳にしない。もう一つは「さしあたって」「まず」「いちおう」の意である。おそらく、多くはこちらだろう。でも、「まず」は「最初に」という意味だけれど、「さしあたって」と「いちおう」は、「とりあえず」と同じくらい意味の説明が難しい。英語に訳せといわれると難しいのが、「どうも」と「よろしく」と「とりあえず」と「いちおう」である。 「とりあえず」には、「なにをおいても」「まっさきに」という時間的な緊迫に対応する積極性が感じられるものの、「じっくりと」「落ち着いて」やった確実なもの、正式なものではない、つまり「仮の処理」である、というイメージが込められている。これは「いちおう」にもいえるだろう。特に、年輩者にはこのイメージが強い。 だから、「どうして我が社を選んだのですか?」と質問されたとき、「とりあえず、ここが第一希望でしたので」や「いちおう、貴社のポリシィに共感しましたので」のように、つい口癖で、「とりあえず」や「いちおう」を無意識でつけてしまうと、そのあとにいくら立派なことを言っても台無しになる。以前にも書いたが、就職の面接のときに、「とりあえず」と「いちおう」を口にしないように学生に注意するのはこのためである。それくらい、無意識に若者が使っているケースが散見されるからだ。 修理をしてもらったときにも、「とりあえず、直りました」と言われると、若者は喜ぶかもしれないが、年輩者は納得しない。 2007年08月14日(火曜日)
【国語】 とりあえず2 8/6に「とりあえず」について書いた。そのとき、触れなかったことがある。 そもそも、どうしてこの言葉がこんなにまで多くの人に広まったのか。それは、「謙遜」の意味で使われていたからだ。ようするに、自分としては精一杯頑張ってことに当たったのち、それを「とりあえず、やりました」と控えめに口にするのである。そもそもの使用法はこれだったのだろう。「いちおう」においても同様である。謙遜に受け取られるような場面であれば、全然悪くない。どこにその境界があるだろうか、と考えてみた。 目の前にもの凄く立派な作品がある。それを見た人から「凄いですね、これは貴方が作られたのですか?」と尋ねられる。「はい、とりあえず、作ってみただけですが」と答える。このような場合は、謙遜だとわかる。立派な作品が現に存在しているからだ。すなわち、行いが明らかに優れていることがわかっているときには、「とりあえず」や「いちおう」を使っても悪い印象はない。立派さが見えないような場合、あるいはその力がなさそうな人間が使うと、謙遜に受け取られない、ということだろうか。 また、人に依頼する場合も、「とりあえず、なんとかしていただけないでしょうか」と言えば、「応急処置でも良いから、早く処理をしてほしい」という意味だが、これも、控えめにお願いしている場合が多い。つまり、本当はきちんとやってもらいたいのだけれど、そこまで強くは言わないのが礼儀だろう、という判断だ。素直に受け取って、「わかりました、とりあえずの処置をしておきましょう」では、相手はむっとするかもしれない。 2007年10月01日(月曜日) 【国語】 「微妙」の微妙さ 「微妙」を広辞苑で引いてみよう。意味が2つ書かれている。「美しさや味わいがなんともいえず優れているさま」と「細かいところに複雑な意味や味が含まれて、なんとも言い表しようのないさま」と。前者の例として、「微妙な調べ」があり、後者の例としては、「微妙な関係」が挙げられていた。 さて、しかし、最近の若者が使う「微妙」はこうではない。「新曲は、微妙だよね」といえば、あまり良くない、感心しない、ぱっとしない、今ひとつである、という意味だ。これでは、「微妙な調べ」と言っても、逆の意味に受け取られてしまうだろう。 ちなみに、今、「ぱっとしない」ではなく、「ぞっとしない」と書こうと思ったのだが、この「ぞっとしない」も最近は別の意味に使われることが多い。もともとは、「感心しない」「今ひとつ面白くない」の意味だ(広辞苑にもそう書かれている)が、「そんなに恐くない」とか「悪くはない」という意味に使っている人がけっこういる。 話を戻そう。「微妙」と同じ発音で、「美妙」がある。これは文字どおり「美しくたえなること」「麗しくなんともいえず優れていること」とある。つまり、「美妙」よりは、微かになっているが、やはり「たえなるさま」が「微妙」なのである。類似のものに、「絶妙」があって、こちらは、「この上なく巧みなこと」の意になる。 「微妙」の意味が変化したのは、「微妙だけれど、面白くなかった」→「微妙に面白くなかった」となって、この後半が省略されたものと想像する。「微妙ですね」と聞いたとき、どちらに受け取るのかは、発言者の年齢や雰囲気から読むしかなく、いずれにしても微妙である。 2007年09月15日(土曜日)
【国語】 強調表現 英語のveryのように、後ろの言葉を強調する表現が沢山ある。 会話では、ついつい強調したくなる。「美味しいね」と言えば伝わることを、「凄く美味しいね」と言う。その方が、相手により気持ちが伝わるような気がするからだ。したがって、会話の場合には、一般に強調表現は過剰になりがちである。 若い頃、自分の書いた論文を偉い先生に見てもらったとき、「こういった指摘は非常に少ない」や「この点に留意することが今後非常に重要となる」の「非常に」を削りなさい、と指摘されたことがある。「君は、どういう定義で『非常に』を使っているのか」と尋ねられた。以後、気にして使用するようになった。 たとえば、「もの凄く美味しい」と「死ぬほど美味しい」はどちらが美味しいのだろう? 人それぞれ、ケース・バイ・ケースであるが、使いすぎて効果がなくなったものを使い捨て、どんどん新しい表現が生まれているようにも見える。 思いつくものを挙げてみよう。 とても、かなり、明らかに、非常に、絶対に、大いに、凄く、もの凄く、著しく、過激に、顕著に、素晴らしく、めちゃくちゃ、とんでもなく、限りなく、はてしなく、比較にならないほど、言葉にならないほど、宇宙的に、この世のものとは思えないくらい、びっくりするほど、おどろくほど、やみつきになるほど、最高に、一番、だんとつに、断然、空前絶後に、今までで一番、信じられないくらい、ありえないくらい、死にたくなるほど、死ぬほど、これらを全部合わせたよりもさらにもっと……。 2007年09月10日(月曜日)
【国語】 の授業 by 太田忠司 「先生、教科書から『ら』が落ちました。ちゃんと見れません」 「またですか。最近の『ら』は弱くなってしまいましたね。落ちた『ら』は拾って貼りなおしておくように。それと『見れません』ではなく『見られません』と言うようにね」 「先生、『い』も落ちちゃいました。みんな混乱してます」 「『い』も昔から弱い字でしたからねえ。強力な接着剤を用意しましたから、これで絶対に剥がれないようにしっかりと貼り付けてください。それから『混乱してます』ではなく『混乱しています』と言うように」 「でも『混乱してます』でも意味が通じますけど」 「駄目です! 私たちは正しい日本語を使うための授業を行っているのですよ。まったくおみゃあさんたち……いえ、君たちは自覚がなくて困ります」 「先生、今度は『さ』がたくさん乱入してきました。これでは授業になりません。家に帰らさせていただきます」 「待ちなさい、帰ってはいけません。『さ』を追い払えばいいことです。それと『帰らさせていただきます』ではなく『帰らせていただきます』ですよ」 「わかりました。帰らせていただきます」 「そうじゃないってば。帰っちゃ駄目なの。まったくもう、最近の国語はやりにくくていかんがね。まともに本も読めれん」 「先生、それは『れ』が余分です。『読めん』が正しいです」 「ええんだて! わしは名古屋の人間だで、昔から『読めれーせん』と言っとったの。そんだで『読めれん』でもええんだて」 「でも僕らは正しい日本語を使うための授業を――」 「名古屋弁が正しい日本語でにゃあだと? そんなことあらすか。どこのたーけだ、そんな言っとるのは。ここに出てこやあ。まーあかん、授業がわやになってまったがね。だゃあてゃあだな、名古屋弁はよお信長様の昔からニッポンの……」 【国語】 べつにどちらでも良いことを
「特に」「別に」「既に」のなかで、最近、「べつに」だけを平仮名で書くことにした。これは、会話などでよく使われる「べつに、どうってことないよ」「べつに、いいんじゃない」という場合の「べつに」に限る。「出口は別にある」という場合は漢字だ。明らかに、前者の「べつに」と後者の「別に」が意味が異なっていて、英語の「other」の意味がある場合は「別」という漢字を使おう、という方針である。 このように、僕は、意味によって平仮名と漢字で表記を使い分けているものが多い。最近どんどん増えている。 「間違った答」は漢字だが、「ここにまちがいない」は平仮名。「何をもらったの?」は漢字だが、「なにかもらったの?」は平仮名。「何でそうなるの?」は漢字だが、「なんでもそうなるの?」は平仮名。「貴方に従う」は漢字だが、「したがって、こうなります」は平仮名。「確かな答」は漢字だが、「たしか、こうだった」は平仮名。 「特に」と「既に」は、この頃では平仮名で書くことが多いように思うけれど、僕は今のところ漢字を使っている。これは、学術論文の影響かも。意味としてはすべて同じなので、平仮名表記はしていない。でも、会話に現れる、「とくに、どっちでも」みたいな使い方は、「べつに」とほぼ同じであって、微妙だとは感じている。「既に」も、読めない人が多いから、どうしようかな、と迷うこともしばしば。接続詞は平仮名にするという大きなルールとの兼ね合いもある。 とにかく、漢字か平仮名か、という表記の問題は、10年以上小説を書いてきて、未だに統一したルールを決められない、という場合が多く、結局は、個々に判断すべきものなのかもしれない。ただ、デビューした頃に比べると、どんどん平仮名表記が増えてはいる。漢字で書くようになったものは僅かだ。 どちらでも良い。ただ、ルールを決めないと面倒だ、というだけの話。 2007年08月27日(月曜日)
【国語】 それほど 最近、ちょくちょく見かける使い方だ。こんなふうである。「美味しいという噂を聞いて食べにいったが、それほどだった」 もちろん、本来は「それほどでもなかった」と言っていたものであるが、省略されて短くなったらしい。否定文が消えたので、知らない人間が聞くと、「それほど」だったのなら、「噂どおり美味しかった」の意味だろうか、と逆に受け取る可能性は高い。そうではなく、「それほど」だけで、「それほどでもない」を表しているのである。会話だったら、通じるかもしれない。また、「それほど……、という感じだった」くらいの表現ならまだ通じる。 こういった省略形の新語はどんどん出てくるし、やはり通じなくて広まらないものも多い。 やや古いところでは、「なにげに」というのが広まった。「なにげなく」が本来だったのに、やはり否定の部分を省いて、意味はほぼそのままだった。不思議だ。 また、ちょっとまえから、「微妙」という言葉が、否定的に使われている。「微妙だ」というのは、本来は、「美味しいか美味しくないか、微妙なところだ」というように使ったが、今は「微妙だ」といえば、「今ひとつ美味しくない」の意味で使われている。つまり、「微妙に~ない」の後ろの否定文を省いたわけで、上記の例と同じかもしれない。「世界一か日本一か微妙な味」といった場合、どちらの意味に取られるだろう。 さらに「とんでも」も、「ない」を省いて用いられたものが散見される。たとえば、「とんでも系」のような使い方である。これは、もともとは「途でもない」つまり「途方もない」の意味だった。とすると「途方も系」と言い換えられるだろうか。そのうち、「もったい系」なんてのも登場しそうである。 とりあえず2若い方々と議論をしていて一番気になるのは、枕詞のように「とりあえず」なる語を使われるときである。「とりあえず」には真剣さがない。「とりあえず」は、多様な選択肢のなかから、当り障りなく、間に合わせに何かを用意する表現にほかならない。
ワタクシたちは、自らが選び取った現実を必死に生きている。日々、実存を賭けた勝負である。みたまえ、教室の子どもたちを。彼らを前にして、「とりあえず」勉強でもとか、「とりあえず」練習でもとか、いえるだろうか。安易な気持ちで使ってしまう言葉にこそ、人間性が問われ、社会性があらわれよう。国語の力を教養教育の前提とするのなら、このあたりの反省から出発するべきではないか。
なくなっていく言葉もあれば、形を変えながら生き残っていく言葉もある。極端な例だが、「世の中」が「男女の仲」を意味していたのは平安朝であって、いまでは「世間」そのもの、「社会」自体を指す。この意味内容変化は、女性の王朝的世界観が変容し、より広い価値を賦与され、発展して元の意味が「廃れた」結果である。この解消はいい。一方、国語審議会がカタカナ言葉を誰にでもわかりやすい日本語表記にと注意するのは、日常、カタカナを使って半分以上をしゃべるわけでもないのだから、滑稽といえば滑稽であろう。こうした言葉狩り的態度をワタクシはとらない。不問である。
わかりやすい言葉使いにはおおいに賛成であるものの、和語にするには難しい言葉もあるだろう。世代を乗り越え正確な意味伝達をはかろうとしても無理が生ずる。インターネットプロトコルという言葉の意味を高齢者に理解せよといっても無謀なのは、ワタクシの両親で実証済である。プロバイダのテレビCMをみてさえ、意味がわからぬとこぼしているのである。それをたとえば「新型情報供給電子的回線会社」(でいいのか?)と和語に置きかえられたとして、どれほどの効果があるのか。
さて、「とりあえず」の意味が、肯定的な意味に転化することがあるのであろうか。千年経ってもない、と信じたい。変わるとすればそのときは日本語が表現伝達機能をなくすとき、つまり、日本が亡くなるときである。
現時点で、みなさんを前にして「とりあえず、教採試験でも受けよか」という奴がいたら、ワタクシが飛んでいって殴ってやる。ただ、居酒屋でビールを頼むときだけ、この言葉の使用を許すとしよう
病院で「とりあえず」はご勘弁
「とりあえず薬」と薬くれる病院は「とりあえず」という程度の治療の気がする
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http://homepage2.nifty.com/medamacafe/J/tori_kotoba.htm
「とりあえず」の似合う場面 なじみのメンバー3人で居酒屋へ。 「へい、らっしゃい!ご注文は?」「ビールだよな。」「おう。」「おう。」 「お兄ちゃん、とりあえずナマでみっつ!」「へい、とりあえずナマ三丁!」 「とりあえず」の似合わない場面
バイクでトラックと衝突!5m吹っ飛んで起きると足に激痛。派手な傷からは血がダラダラ。「俺はこのまま死ぬのか?」...やってきた救急車。救急隊員のお兄さんはニッコリと言う。「ま、とりあえず足には包帯まいとくからねー、病院まで30分、がんばりましょーね。」「ば、バカヤロー、『とりあえず』じゃ俺は死ぬぞー!」....遠のく意識。果たして病院まで命はもつのだろうか。 --------------------------------------------------------------------------------
●「とりあえず」に囲まれた生活 筆者平野だけなんでしょうか、この10年で「とりあえず」の言葉が周りにやたら増えたと思うのは。コンビニ行っても病院行っても仕事の会議でも、雑誌の記事でも、誰も彼もが、言葉のあちこちに「とりあえず」をまきちらしております。「とりあえず100枚限定です」「とりあえず話題モノということでして」「とりあえずチェックに買ってみたんで」「とりあえず土曜しめきりでして...」...もうやめてくれ。別に使うなとは言ってません。しかし。真剣に仕事をしている場面だとか。サービス業で客に話す時だとか。金の行方がわからなくて弁解する場面だとか。そんな場面で「とりあえず」と言ってるやつら。なんであんたはそんなに「とりあえず」でごまかそうとするんですかい。え。病院の医者やら看護婦やら。「とりあえず今日はこのお薬で様子見ましょうね」ってのは、つまり診断も治療も薬もなげやり、ていうことかい。今日はおさまるけど明日はどうか知らないよ、ていう意味じゃないのかい。 ●病院の職員は「とりあえず」は使っちゃいかーん!!!
ということで筆者平野は、1997年から病院の仕事では絶対に「とりあえず」は口にしないと自分で誓いました。患者に真剣に検査したり薬出すのに「とりあえず」なんて失礼な言葉はとうてい使えません。病院で「とりあえず」と言われるとイヤだという声もききました。これを口にする医者は周りでゴマンといますが、俺だけはこうはならんぞと密かに思っております。いや病院に限らずサービス業なら「とりあえず」は使っちゃいかんです。だいいち僕が店員から言われた時に気持ち悪い。僕の職場、「ひらの眼科」では何度も職員に「とりあえず」は使っちゃいかんと教育してます。 ●「とりあえず」を100回唱えてるとアホになる では仕事以外なら「とりあえず」を使うのか?いや、これも自分では控えてます。「とりあえず」を口にしている間は、「なぜか?--理由はこうだ」というスジの通った思考がパッタリと止まっているからです。言葉は思考から生まれるが思考はまた言葉で作られる、とかいう意味のせりふを昔どここかでききました。そうです。「とりあえず」を唱えてるあいだはどんどん頭がふやけてアホになっていくんです。「とりあえず」を使うたびにボケていくに違いありません。 --------------------------------------------------------------------------------
3人で居酒屋、その後 「へい、お待ち!『とりあえず』とビールみっつですね。」 「え?何これ?」「当店名物メニュー『とりあえず』天ぷらスペシャル大盛り9800円でございます。」 「そ、そんなモン頼んでないぞ!」「ご不満ですね。ヒッヒッヒ。はい怪力マネージャーさんどうぞ!」怖そうなマネージャー登場。「お客様何かご不満ですかい?...奥で話をききましょか。広島湾に浮かびたい?」「あ、す、すみません.....何でもありません...ひええええ」ということで『とりあえず』には気をつけましょうね皆様。 ********************************************
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1013137330 亀田史郎が連発していた「とりあえず」ってどうゆう意味ですか?
「とりあえず、生ビール」
という感じで、考えるのがめんどくさいから延髄反射のレベルで出る言葉です。 ボキャブラリーが足りない人が良く使う言葉なので、特に意味を認識しながら使っているわけではないように思われます。 もし本人が、本当に【とりあえず】=【急場しのぎで】の意味で発言していたのなら、<謝罪会見>ではなく、
<やれって言われたからしょうがなくやった会見>になりますね。 長男興毅にあてた手紙の中でも「前へ」を「前え」と書いたり、
三男和毅の出生届を出す際にも「知」を「和」と間違えて提出してしまったり (そのため、本来「知毅」のはずが「和毅(ともき)」と…。) こんな方ですから、国語をもう少しちゃんと習っていれば 会見での「とりあえず」という言葉も少なかったかもしれませんね。 哲学者ハイデッガーの「さしあたり」と同じです。大した意味はありません。
とりあえずとりあえずの言葉
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とりあえず諸君へ(とりのうた) かざみどりのように とりとめもなく とりあえず とりあえず 生きてきた ある日 蚊取り線香のうずが 灰になるように とりもどせない 自分の時を 思った 他人に 取り越し苦労して とりつくろっては きたものの いつも あとにとり残された 自分が いた 自分の青い鳥 とりにがすのも自分 とりあえず とりあえずが いつか そのうち 命取り 自分の足取り 確かに感じて 鳥のように 自由に 色とりどりに 生きてゆきたい 生きてゆきたい --------------------------------------------------------------------------------
いつの頃か、日本語の中に”とり”という音(おん)が沢山あることに気づいた。またとりあえずという言葉が、やたら耳につくようになった。今、そのとりあえずが本来の意味を越えて、現代人の生き方を象徴する言葉に進化してしまっている気がして このような歌が 私の中から おのずと生まれた。 自分も ある時まで とりあえず生きてきた口なので、 そのむなしさ、 不安、苦しさも一応わかるつもりだ。
しかし 本当のところは、 人生は とりあえずではない生き方を 探す旅でもあるのだ。 が、 その旅の途中で その目的が いつの間にか とりあえずの目的に すりかえられてしまうことがある。 又、 とりあえずではない生き方なぞ ないとあきらめて、 とりあえずの生き方に 甘んじてしまう人もいる。 現代では そういう人種が 日本列島をおおっている。 世界で最たる高度成長を成し遂げたと思いきや、 じつはバブルという蜃気楼の世界を つくりあげたのも 彼らである。 しかし、 ここに一人、 とりあえずではない代表選手がいる。
中坊公平、 その人である。 バブルの先駆け、 住専七社が 十三兆円もの負債を抱え、倒産した時、その後始末を引き受け 政府や銀行を向こうにまわし、 自分を絶体絶命の立場において 司法の理念を具現的に貫き通した弁護士さんである。 「中坊公平の人間力」という本を読む時、 とりあえずではない生き方が現に存在すること、 そういう生き方での 「個」の力は大きく、 組織や権力にも対抗し得る強さをもつことなどを、 実践という裏打ちを通して 私達は教えられる。 彼は、 国民の側に立って司法を生きる者として、 司法の世界とは日常かけ離れて暮らす私達に 自分達が知らずに持っている宝を大事にしろと言う。 すなわち、 憲法の三大原則である国民主権、 人権擁護、 平和の中でも、 「国民主権」は 人類普遍の原理であり、 一切の憲法、法令、詔勅をもってしても 変えることはできないと言う。 彼は、 この伝家の宝刀を 正しく理解し、 よりよき 社会実現のために活用すべきだと、 国民主権の実質化運動を勧める。
とりあえず諸君へ。 自分の顔がなくなったり、 のっぺら坊になったりするほど情けないことはない。 その前に一歩を踏み出そう。 中秋の名月マーク留恋依旧 が 2007/09/25 11:24 に送信しました: ◢████◣ ◢████◣ ◢◤ ◥◣ ◢◤ ◥◣ ◤ ◥◣ ◢◤ █ ▎ ◢█◣ ◥◣◢◤ ◢█ █ ◣ ◢◤ ◥◣ ◢◣◥◣◢◤ ◥█◤ ◢◤ ◥◣ █ ● ● █ █ 〃 ▄ 〃 █ ◥◣ ╚╩╝ ◢◤ ◥█▅▃▃ ▃▃▅█◤ ◢◤ ◥◣ █中秋節快樂█ ◢◤▕ ▎◥◣ ▕▃◣◢▅▅▅◣◢▃
神田川神田川
貴方は もう忘れたかしら 赤い手拭い マフラーにして 二人で行った 横丁の風呂屋 「一緒に出ようね」って 言ったのに いつも私が 待たされた 洗い髪が芯まで冷えて 小さな石鹸 カタカタ鳴った 貴方は 私の身体(カラダ)を抱いて 「冷たいね」って 言ったのよ
若かったあの頃 何も怖くなかった ただ貴方のやさしさが 怖かった
貴方は もう捨てたのかしら 二十四色の クレパス買って 貴方が描いた 私の似顔絵 「うまく描いてね」って 言ったのに いつもちっとも 似てないの 窓の下には 神田川 三畳一間の 小さな下宿 貴方は 私の指先見詰め 「悲しいかい」って 聞いたのよ
若かったあの頃 何も怖くなかった ただ貴方のやさしさが 怖かった 新華網記事走近日本看日本人:"天生"爱集体 忍耐之心尤坚 2007年07月27日 20:30:43 来源:世界知识
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在留学日本时的一次讨论课上,老师写下家人、公司、亲戚、朋友几个词,让我们按重要程度排序。中国学生的排序是:家人、亲戚、朋友、公司。日本学生的排序是:公司、家人、朋友、亲戚。美国学生的排序是:家人、公司、朋友、亲戚。看似简单的排序,实则反映出内涵很深的文化差异。中国人的排序,很明显体现出中国人家族本位的文化特征和思考方式。同为亚洲国家的日本人的排序显然体现出集团本位的思考方式。而美国人的思考方式似乎介于中国、日本之间。这个结果耐人寻味。因为,我们有足够的理由相信,深受中国儒家文化影响的日本人应该比大洋彼岸的美国人更像"我们的亲戚",事实却非如此。这种想当然的感觉恰恰是我们在同日本人打交道时"错位"的原因之一。
我们对于近邻的研究很多,特别是作为大众媒介的电视、广播、报刊,经常会有关于日本人的各种消息,这些消息中总是渗透着我们自以为是的对日本人的理解。有着古老历史积淀的中国人在对异文化认知上,经常是在不自觉状态下出现认知的盲点。尽管,地球正在成为"地球村",但知己知彼仍旧是清楚看待问题的前提。
关于日本人的基本性格,美国当代著名人类学家本尼迪克特的研究堪称经典。她在《菊与刀》中写道:"日本人生性极其好斗而又非常温和;黩武而又爱美;倨傲自尊而又彬彬有礼;顽梗不化而又柔弱善变;驯服而又不愿受人摆布;忠贞而又易于叛变;勇敢而又懦弱;保守而又十分欢迎新的生活方式。"美国社会心理学家拉巴瑞则从人类学的观点研究了日本人的性格特征,即:谨慎、固执、独善其身、常怀感谢之心、狂信性、傲慢、易受伤害、完美癖、爱干净、规矩、虐待与受虐、玄学性。拉巴瑞认为,日本人有"对社会关心、集团主义倾向、顺应主义、相互主义"等行为特征。这些评价,日本人是不是认同?就像我们总是认为中国"地大物博,人口众多",中国人"勤劳勇敢"是真理一样,如果听到不是这个结论,我们定会觉得他民族不够友好,甚至是在诋毁我们。从这个意义看,我们是不是也该看看日本人怎么看待自己?
"天生"爱集体、爱秩序
日本民族形成、发展的历史条件和日本的地理条件决定了日本人有一种"置于死地而后生"的决绝,也有考虑问题缺乏大度的偏狭。这一点,日本人自己是承认的。日本人能够把"小我"融入"大我",为了集团利益能够牺牲个人利益。乍一接触日本人,觉得他们毫无个性,简单的问题也没有答案。比如,你问日本人:"你的孩子学习怎么样"?他们通常会支支吾吾地告诉你:"孩子嘛,都一样"。
日本人很少谈到抱负,更是鲜有公开表达个人意见的举动,他们也不喜欢出风头的人。对于这样的民族性格,用"谦虚"做定义也是欠准确的。
日本人从小就会被灌输"不要给人添麻烦"的理念。所以,日本人对秩序的"敬仰"仿佛与生俱来。"兄弟结婚以后就是他人"、"朋友之间借了钱就不是朋友",这类"绝情"的话让人觉得日本人"冷酷"。日本人既然崇尚不给人添麻烦,自然也就怕他人给自己添麻烦。他们那种"律己到牙齿"的份儿,不知道该不该称为"文明"?我们经常为国人不好好排队、做事情不守规矩而"头疼"不已,并将其归结为国民素质问题。亲身体验日本社会,人们会发现日本人爱秩序已然成了习惯。
在地震中,当一个日本人先逃生后,他居然会对着废墟里急需救援的人说:"很抱歉,我先走一步,祝你好运"之类的话,然后,跑到指定的"避难所",把营救亲人的事情交给警察。看到这样的场面,我们会觉得日本人既狠心又虚伪,还很莫名其妙,既然自己都跑了,还奢谈什么"抱歉"?换了中国人,不来一番哭天抢地般的营救,那还算是"人"吗?就这个问题求教于日本人,他们说:"地震中很危险,自己不是专业救护人员,与其徒劳无益地救援,不如自己先逃生更合理,损失也更小。"面对问题,我们想的是情感,而日本人更多的是思考现实的合理性。
二战结束后,面对即将占领日本的美军,为了保护更多的普通日本妇女免遭可能面临的性侵害,日本高层竟然能够专门召开内阁会议讨论紧急从日本各地招募妓女,在美军驻扎的周边设置一道又一道的"妓院防线"。这种做法自然是从秩序性、合理性、集体性的角度来考虑问题的。
倡导"专业精神"
不在日本社会生活,还真的很难理解日本人的"专业精神"。他们每年都在各个行业评比谁做得更专业,无论是开面店的,还是做点心的;无论是打扫卫生的,还是卖东西的,只要干一行,就要追求专业精神。这恐怕也是日本产品、日式服务能够被普遍认可的主要原因。记得留学的时候,日本人批评留学生不敬业,举例说留学生打工时,刚把面放到锅里,看看到了下班时间,给周围人交代一声就走,决不肯多干几分钟,把面煮好端给客人,总是喜欢耍心眼,玩花活,缺少敬业精神。日本人非常讨厌耍滑头的人,喜欢敬业的人。这是日本人从小被培养起来的价值观。
如果你问日本妇女做什么工作,她会告诉你"专业主妇",翻译过来就是家庭妇女。而中国妇女被问及同样的问题,回答多半是"没有工作"。乍一听,会认为作为家庭妇女,中日两国女人肩负的"使命"应该差别不大。但正是"专业"二字的差异,还真就不同。日本家庭主妇不仅任劳任怨,而且很"敬业"。每天早上第一件事情是花很长时间化妆,穿戴整齐漂亮,每天都能够保持"饱满的生活热情"。她们对待丈夫,就像对待工作对象,耐心、热心、诚心、关心,很让中国妇女显得"服务精神"欠佳。
强者哲学
由于日本独特的地理特征,日本人一出门就是茫茫太平洋,身边又有中国、俄罗斯两个"超级巨人"相伴,想想也是挺难为日本人的。日本人从来都很勤劳、有危机意识和富有侵略性。日本人认为尊崇强者、欺凌弱者是天经地义的。在二战中,美国人曾经毫不客气地扔了两颗原子弹,并对东京进行了近乎于毁灭性的轰炸,但日本人好像并没有耿耿于怀。我们一天到晚耳提面命般地提醒日本人正视历史,不要参拜靖国神社,他们却置若罔闻。
我想如果有一天中国像美国一样强大,日本人也就不会这么较劲了。我们对待弱者是同情的,对待强者是心态复杂的。日本人与我们正好相反,真的比他们强,他们还就真的尊重你。所以,在日本人眼里,要想获得尊重就得自强。我有次看电视报道,一个中学生被欺负后跳楼自杀。就这个问题与日本人讨论,他们居然镇定地觉得没啥了不起的,理由是谁让他弱。
从日本强国历史的脉络中,也可以看出日本人对于强者的向往和追求。隋唐之时,中国强大,日本人向中国派遣使者,全方位学习中国。近代以后外国人的洋枪大炮,打醒了日本人,日本人看到自己曾经仰慕的中国老师也被打得七零八落,于是,开始变革维新,完成"脱亚入欧"。从日本的文字、建筑、生活习惯……很容易发现日本人有善于向强者学习的痕迹。
感恩之心常挂嘴边
日本人对帮助自己成长起来的人都会感恩的,而且将来也可能在他们有困难时答应他们的请求,或者对他们身后的亲属给予特别照顾。人们必须不遗余力地履行这种义务,而且这种恩情并不随着时间而减轻,甚至时间愈久,恩情越重。每年的"中元"节就是全日本感恩大行动。知恩图报是日本人的基本价值观。
也许正因为感恩是日本人生活中的重要内容,因此受恩就变得不再平常。日本人不喜欢随便受恩而背上人情债。日本人对大街上发生的事故一般不大理睬,并非是缺乏主动性。日本人认为,除了官方警察以外,任何人随便插手都会使对方背上恩情。明治维新以前,有一条著名的法令:"遇有争端,无关者不得干预。"在这种情况下,如果不是有明确的职责而出面帮助,会遭人怀疑是不是另有他图。既然知道帮助别人会得到感恩领情,所以也就会非常慎重地对待涉及感恩的问题。对于卷入"恩情",日本人是十分小心的。
对于日本人处处显露出来的感恩,我们其实不太习惯。觉得既然做了好事就不要图报,感恩更好,不感恩也没啥。看似我们的想法很高尚,但难以持久。因为,人终究不是神。
忍耐之心尤坚
日本的岛国文化,导致日本人不得不依靠团结的力量才能够实现追求的目标。团结的基础在于协作。为了保持在人口密度过大下彼此相安无事,协作和忍耐都要有很高的要求。不管私下有多少矛盾,在一致的利益下,日本人会表现出超人的协作和忍耐精神。
日本人从小就被教育要忍耐。看到日本幼儿园老师告诉站在美食边上的孩子"要忍耐几分钟后再吃",我们会觉得很不可思议,甚至觉得对饥饿的孩子是"残忍"。这种压抑教育,在礼仪的氛围中,经过长期的修练,养成了日本人无以伦比的忍性和超出寻常的冷静。日本电影《人证》里道貌岸然、风度娴淑的母亲不动声色、干净利索地杀死了从异国远道而来寻找自己的混血儿子后,还能够平静地出席庆祝晚宴,可以看出日本人的忍韧。
在地铁里,早晨的日本和夜晚的日本实在是大不同。随着太阳的升起,清晨的日本地铁里挤满了西装革履、斗志昂扬、彬彬有礼的公司职员。夜晚的地铁里满是酒气,那些白领们脖子上的领带松弛着,东倒西歪地勉强站立着,让人无法把两个场面想像成是同一群人所为。甚至喝醉酒的人还会当街小便……日本人平常沉默寡言,表情冷淡,受着各种各样的压抑和委曲,可一到紧急关头却能挺身而出创造奇迹。忍耐、成熟和偶发的孩子气能够在日本男人身上完美组合,也是其他民族中少见的。
短短小文其实很难把对日本人的认识写清楚。总的来说,日本人能够清楚个人的责任和义务,知道自己的定位,能够做到吃苦耐劳。我认为中国人如果真的有日本人那种学习精神和务实态度,中国让世界刮目相看是可以期待的。写这篇文章的时候,我也想过或许会挨骂的种种可能,在中国,大家都怕带上"亲日派"的帽子。有一点挺奇怪的,中国人对待"亲美派"不知比"亲日派"宽容多少倍。(王欢) January 15 しめ縄(わが家のミカタ歳末スペシャル)今年もシメます:前編 しめ飾り、ルーツに謎
2007年12月24日 「しめ飾り、ウチのは普通だよ」。しかし、全国2000種類以上…
お正月の玄関には、やっぱ「しめ飾り」でしょ。それは家内安全と五穀豊穣(ごこくほうじょう)をもたらす年神様(としがみさま)を迎える飾り。ところが、形は地域でまちまち。しかも各地の玄関でかけるようになった経緯も、イマイチはっきりしないミステリアスな存在なのです。そこで歳末のわが家のミカタは特集「今年もシメます」。(神田剛)
*
東京都杉並区のグラフィックデザイナー森須磨子さん(37)は、しめ飾り研究家としても知られている。この10年ほどの年末年始は、地方のしめ飾りを探し求めて一人旅。宿の人に傷心旅行と勘違いされ、やたらと気を使われるのにも、もう慣れた。
1年のうち、しめ飾りを探し歩けるのは、この時期だけだ。数日間の旅では可能な限り多くの街を訪ね、年末は露店で買い、年明けは家々に飾られたものを写真に撮る。
時刻表片手に、乗り換えの合間にも街を駆ける旅は、西村京太郎サスペンス顔負け。東北地方を回って元日未明に帰宅。2日の朝には京都へ向けて出発したこともある。
体力的には相当キツい。しめ飾りでパンパンの袋をかついで雪道で転倒。散乱した中身を独り拾い集めた時はさすがにヘコんだ。だって重いんだもん。涙が出ちゃう。
高校の時から興味を持ち、今や自宅には200個の現物と2000種類の写真がある。成果の一部は今月、絵本「たくさんのふしぎ」(福音館書店・08年1月号)にまとめた。
でも、旅先で会う人の多くは不思議そうに言う。「しめ飾り? ウチのは普通だよ」
いえいえ、一体何が普通かわからないほど、形のバリエーションは多いのだ。
綯(な)う、撚(よ)る、編む、組む、結ぶ、束ねる、巻く。わら細工は、たった七つしか手法がないのに、農家の人たちの手が生む形は、「山ひとつ、川1本越えて異なることも。私が見たのもまだ一部です」。
ゴボウやダイコン、縄状や輪っか状が基本形だが、細部はばらばら。金沢には亀型、宮崎は鶴型とおめでた系アニマルも。「柿食えば」の法隆寺がある奈良は干し柿付き。北海道ではわら代わりにスゲで作られ、高知はウラジロの葉がなぜか表向きで緑色だ。
森さんは、広島市内のしめ飾りにはない御幣が、厳島神社のある宮島には不思議とついていることにも気づいた。
「そりゃ神の島だから」。地元のおばちゃんはこともなげに言ったが、正確なルーツは不明。実は、このよくわからないところも魅力なのだ。
古事記には、天照大神(あまてらすおおみかみ)が再び岩戸に隠れぬよう「尻久米縄(しりくめなわ)」を張ったとある。平安時代の土佐日記にも、正月に家を縄で囲む下りがある。だが絵がない分、今のしめ飾りになる過程がよくわからない。
各地に広がった経緯もそうだ。江戸時代から飾っていた所もあれば、明治時代に東京から持ち帰って広がったという所も。一般化したのは戦後という所だってあるのだ。
伝統であり、変化を続け、今も存在感を放つ。生活や住宅が変わっても、森さんにはしめ飾りが「消えそうで消えない文化の種火」と映る。
そんな種火を絶やさぬ人のお話は、来週の回でご紹介。
(12月18日付け朝刊26ページ 生活2) January 10 和泉書院『日本人と中国人とのコミュニケーション』
「ちょっと」はちょっと…ポンフェイ博士の日本語の不思議』 彭 飛著 定価1,050円(本体価格1,000円) 四六並製・カバー装 207ページ ISBN4-7576-0363-0 全国学校図書館協議会選定図書 ●「一応、結婚しました」
●「外国人」って「向こうの人」? ●「先輩」には故人の意味も ●「気持ちの整理」とは何を片付ける? ●「呉服を着る」とは言わない ●「妻蒸発」は残酷殺人? ●「上様」の説いろいろ ●中国の結婚式では「寿」は使わない などなど、中国語を母語に持つ著者が、ことばの習慣の違いからくる誤解や摩擦について、身近な例を通して、誤解が生まれるメカニズムの解明に踏み込む。読者と共に異文化理解、多文化社会について考える一冊。 〔内容目次〕序章 来日当初の体験談/第1章 日本語、不思議発見 外国人を悩ませる「ちょっとした」表現 ①「いわば、ひとつの」枕ことば ②「ちょっと」は百面相 ③「気配り」は日本語の必需品 ④日本語には「ぼかし」が入っている ⑤ファジーな仮名表記 ⑥「おかげさまで」は、誰のおかげ? (コラム)「気配」こそが日本の文化 山折哲雄名誉教授(宗教学)に聞く/第2章 漢字の落とし穴 知ると知らぬでは大違い ①「酒」は酒でも…… ②「先生、われわれは不良少年ですか?」 ③「運動」と「活動」はどう違うのか ④香港はなぜ「ホンコン」と呼ぶのか ⑤「呉服」って中国の服ですか? ⑥領収書の宛名は、なぜ「上様」なのか? ⑦「日本語、ここが難しい」 インタビューから (コラム)謎がいっぱい訓読、和製漢語 毛利正守教授(国語国文学)に聞く/第3章 中国と日本、くらべてみれば 習慣の違いによる泣き笑い ①「九」はめでたい数字? それぞれのタブー ②「食べる」縁起もの 中国と日本の習慣と食文化 ③「いつ身を固めるのですか」 「寿」と「喜」の習慣 (コラム)日本の中華料理と中国の中華料理 松本秀夫教授(中国料理研究)に聞く/終章 日本人と中国人とのコミュニケーション January 09 阿久悠シングル売上枚数
これまでに発売されたシングルの総売上枚数は6,818万枚で作詞家歴代1位。2位以下に大差をつけている。[2] 1位 - 6,818万枚 阿久悠
2位 - 4,946万枚 松本隆 3位 - 4,216万枚 小室哲哉 (オリコン。2007年8月6日付現在) また、阿久悠が作詞した曲のシングル売り上げ枚数上位は、1位「UFO」、2位「サウスポー」、3位「北の宿から」である。
[編集] 日本レコード大賞 日本レコード大賞での大賞受賞曲は作詞家として最多の5曲。(1976~1978は3年連続受賞) 1971年「また逢う日まで」尾崎紀世彦
1976年「北の宿から」都はるみ 1977年「勝手にしやがれ」沢田研二 1978年「UFO」ピンク・レディー 1980年「雨の慕情」八代亜紀 (2007年現在) [編集] 日本レコード大賞・作詩賞 日本レコード大賞の作詩賞受賞は7回で最多記録(2007年現在)。 1973年「ジョニィへの伝言」ペドロ&カプリシャス。 「じんじんさせて」山本リンダ
1975年「乳母車」菅原洋一 1985年「夏ざかりほの字組」Toshi & Naoko(田原俊彦・研ナオコ) 1986年「熱き心に」小林旭 1990年「花束(ブーケ)」八代亜紀 1994年「花のように鳥のように」桂銀淑 1996年「螢の提灯」坂本冬美 [編集] 日本作詩大賞
日本作詩大賞は8回受賞。日本レコード大賞作詩賞と同じく、最多記録となっている(2007年現在)。 1974年「さらば友よ」森進一
1976年「北の宿から」都はるみ 1977年「勝手にしやがれ」沢田研二 1981年「もしもピアノが弾けたなら」西田敏行 1982年「契り」五木ひろし 1984年「北の螢」森進一 1988年「港の五番町」五木ひろし 2002年「傘ん中」五木ひろし [編集] チャート1位独占
1977年6月20日付のオリコンシングルチャートで、阿久悠作詞の「勝手にしやがれ」(歌・沢田研二)が首位を獲得する。それ以降、12月5日付首位の「ウォンテッド」(歌・ピンク・レディー)まで、25週連続で阿久悠作品が首位を獲得。ほぼ半年にわたり首位を取り続けるという前人未到の記録を打ち立てた。 またこの年は他に、「北の宿から」(歌・都はるみ)、「青春時代」(歌・森田公一とトップギャラン)なども首位を獲得。阿久悠作品は年間39週(約9ヶ月)首位を獲得した。
[編集] チャート独占 1977年12月5日付けのオリコンシングルチャートでは、阿久悠作詞の楽曲が100位までに16曲チャートインした。 1位 - ピンク・レディー『ウォンテッド』
4位 - 沢田研二『憎みきれないろくでなし』 9位 - 岩崎宏美『思秋期』 12位 - Char『気絶するほど悩ましい』 16位 - 石川さゆり『暖流』 19位 - 石川さゆり『津軽海峡・冬景色』 23位 - 森進一『東京物語』 26位 - 沢田研二『勝手にしやがれ』 33位 - 新井満『ワインカラーのときめき』 39位 - ピンク・レディー『渚のシンドバッド』 42位 - ささきいさお『宇宙戦艦ヤマト』(アニメソング) 45位 - 西城秀樹『ボタンを外せ』 48位 - 石川さゆり『能登半島』 69位 - ギャル『薔薇とピストル』 70位 - 森田公一とトップギャラン『過ぎてしまえば』 95位 - 清水由貴子『ほたる坂』 「北の宿から」
阿久 悠 作詞 小林亜星 作曲 あなた変わりは ないですか 日毎寒さが つのります 着てはもらえぬ セーターを 寒さこらえて 編んでます 女心の 未練でしょう あなた恋しい 北の宿 吹雪まじりに 汽車の音 すすり泣くよに 聞こえます お酒ならべて ただ一人 涙唄など 歌います 女心の 未練でしょう あなた恋しい 北の宿 あなた死んでも いいですか 胸がしんしん 泣いてます 窓にうつして 寝化粧を しても心は 晴れません 女心の 未練でしょう あなた恋しい 北の宿 『また逢う日まで』
歌:尾崎紀世彦
また逢う日まで
逢える時まで 別れのその訳は話したくない なぜか寂しいだけ
なぜかむなしいだけ 互いに傷付き全てを無くすから 二人でドアを閉めて
二人で名前消して その時心は何かを話すだろう また逢う日まで 逢える時まで あなたはどこに居て何をしてるの? それは知りたくない
それは聞きたくない 互いに気遣い昨日に戻るから 二人でドアを閉めて
二人で名前消して その時 心は何かを話すだろう 二人でドアを閉めて
二人で名前消して その時 心は何かを話すだろう 「勝手にしやがれ」(1977)
歌:沢田研二
第19回日本レコード大賞(昭和52年) 大賞作品
壁ぎわに寝返りうって テープをきいている やっぱりお前は消えてくんだな
iPodばかりじゃないと
想い出かき集め
鞄につめこむ気配がしてる
データ好きならしあわせになるがいい
音が気になりゃいつでもおいでよ
せめて少しはカッコつけさせてくれ
デザイン増える間に出て行ってくれ
アア アアア アアア アア
アア アアア アアア アア ダレて陰気にからむカセット巻いて
たるみをくねらそう万年筆で
アア アアア アアア アア アア アアア アアア アア 短信爱情就像音乐:初恋是轻音乐,热恋是摇滚乐,结婚是通俗音乐,离婚是流行音乐。 5、送你十二生肖:祝你聪明如鼠,强壮如牛,胆大如虎,可爱如兔,自信如龙,魅力如蛇,浪漫如马,温顺如羊,顽皮如猴,美丽如鸡,忠诚如狗,长的像猪 送你一件外套,前面是平安,后面是幸福,吉祥是领子,如意是袖子,快乐是扣子,口袋里满是温暖,穿上吧,让它相伴你的每一天!新年快乐! 你有点灵气,我有点傻气;你有点秀气,我有点土气;你有点香气,我有点烟气;如果你生气,我不会发脾气 我有点俗有点怪,有点无聊加可爱!有点懒有点坏,有点机灵加无赖!说无赖就无赖,油头滑脑谈恋爱!你想爱我那就爱。 今年流行不送礼,托个蚊子来看你,从头脚亲亲你,千万不要打杀伊。如果有点痒兮兮,那是我在祝福你,如果疙疙瘩瘩地,那是祝福应验哩! January 07 城山三郎旗 (「支店長の曲り角」城山三郎)
旗振るな
旗振らすな 旗伏せよ 旗たため 社旗も 校旗も
国々の旗も 国策なる旗も 運動という名の旗も ひとみなひとり
ひとりには ひとつの命 走る雲
冴える月 こぼれる星 奏でる虫 みなひとり ひとつの輝き 花の白さ
杉の青さ 肚の黒さ 愛の軽さ みなひとり ひとつの光 狂い
狂え 狂わん 狂わず みなひとり ひとつの世界 さまざまに 果てなき世界 山ねぼけ
湖しらけ 森かげり 人は老いゆ 生きるには
旗要らず 旗振るな 旗振らすな 旗伏せよ 旗たため 限りある命のために
天声人語
土曜日, 3月 24, 2007
城山三郎 作家の城山三郎さんが亡くなった。経済小説という新しい分野を切り開いた。貴いこの仕事は、経済という一分野を超えた大きなものに貫かれていたように思われる。 四半世紀前、城山さんはネパールに旅をした。ヒマラヤを仰ぐ山国の湖畔で悠々と草をはむ牛がうらやましく、生まれ変われるならネパールの牛になりたいと思う。そして、戦争末期にも同じ思いをしたことを想起した。
17歳だった城山さんは、忠君愛国の大義を信じ、海軍に志願入隊した。そこで一部 の職業軍人たちが愛国者の顔をしながらいかに醜いかを知る。理由もない体罰、ひっきりなしに振るわれるこん棒。兵士が芋の葉をかじる時、士官たちは天ぷ ら、トンカツを食う。演習の時、河原でのんびりしている牛を見て、牛の方がいいと思った。
「大義名分のこわさ、組織のおそろしさ。暗い青春を生きたあかしとして、とりあえずそれだけは書き残しておかねばならない。そこからわたしの新しい人生がはじまった」。「大義の末」や「男子の本懐」などが生まれ、組織と人間を見つめる目に磨きがかかった。
「旗」という詩がある。「旗振るな/旗振らすな/旗伏せよ/旗たため……ひとみなひとり/ひとりには/ひとつの命」(『城山三郎全集』新潮社)。
旗一つで人をあおり、絡めとるようにみえる組織的な動きには、死の直前まで反対の声をあげ続けた。「戦争で得たものは憲法だけだ」とも述べたという。それが、城山さんを貫く思いであり、書き記そうとしてきたことの本質だったのかも知れない。
January 05 number listSpécifiques numériques 助数詞 ジョスウシ
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1980年
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國廣哲彌編・黒田成幸・寺村秀夫・中右実・奥津敬一郎 1980 『日英語比較講座2 文法』大修館
福沢 清 1982 指示と数量詞(2):作用域と島制約、『熊本大学英語英文学』26
高橋順一 1982 数量詞の作用域について、『旭川工業高等専門学校研究報文』19
浅川照夫 1983 遊離数量詞に関する一考察、『金沢大学文学部論集. 文学科篇』3
矢澤真人 1985 連用修飾成分の位置に出現する数量詞について、『学習院女子短期大学紀要』23
大木 充 1987 日本語の遊離数量詞の談話機能について、『視聴覚外国語教育研究』10
岩澤勝彦 1988 遊離数量詞の叙述性と述語焦点化機能、『英文學研究』65(1)
1990年
井島正博 1990 数量詞の多層的分析、『山梨大學教育學部研究報告. 第一分冊, 人文社会科学系』41
高橋 寛 1993 日本語の数詞的数量詞について、『洗足論叢』22
福島富士郎 1993 数量詞と認可条件、『ノートルダム清心女子大学紀要. 外国語・外国文学編』17(1)
木村宣美 1993 日本語の数量詞遊離と空間原理に基づく分析、『文経論叢. 人文学科篇』13
阪東正子 1995 日本語の数量詞構文について、『名古屋大学人文科学研究』24
森 美由紀 1996 遊離数量詞について、『学習院大学人文科学論集』5
北原博雄 1996 連用用法における個体数量詞と内容数量詞、『国語学』186
奥津敬一郎 1996 『拾遺 日本文法論』ひつじ書房
森 貞 1997 「不定語+モ」生成の認知的基盤について、『国語学』188
加藤重広 1997 日本語の連体数量詞と遊離数量詞の分析、『富山大学人文学部紀要』26
坂口真理 1997 <研究ノート>数量詞のLF-移動に関する制限について、『ノートルダム清心女子大学紀要. 外国語・外国文学編』21(1)
廣瀬幸生・加賀信広 1997 『日英語比較選書4〈全10巻〉 指示と照応と否定』研究社
中右実・廣瀬幸生・加賀信広 1997 数量詞と部分否定(数量詞と部分否定の解釈)、『日英語比較選書 4 指示と照応と否定』研究社
神尾昭雄・高見健一 1998 『日英語比較選書2〈全10巻〉 談話と情報構造』研究社
中右実・神尾昭雄・高見健一 1998 情報構造と伝達機能―省略、後置文、数量詞遊離(省略後置文数量詞遊離)、『日英語比較選書 2 談話と情報構造』研究社
北原博雄 1998 移動動詞と共起するニ格句とマデ格句 --数量表現との共起関係に基づいた語彙意味論的考察?、『国語学』195
柳瀬正人 1999 遊離数量詞とその派生、『日本獣医畜産大学研究報告』48
小林昌博 1999 マルチモーダル範疇文法による日本語の数量詞遊離の分析、『情報処理学会研究報告. NL, 自然言語処理』99(95)
井本 亮 1999 「ほど」の数量詞的機能--「VするほどVした」 構文の意味解釈から--、『国語学』198
2000年
町田 健 2000 数量詞遊離の適格性を決定する諸要因について、『名古屋大學文學部研究論集. 文學』46
柴田真季 2000 言語獲得における数量詞解釈、『金城学院大学大学院文学研究科論集』6
坂口真理 2000 日本語における分配の数量詞の極小主義的分析、『ノートルダム清心女子大学紀要. 外国語・外国文学編』24(1)
田中秀毅 2000 日本語における復号名詞句からの数量詞遊離、『言語文化論集』53
森山卓郎 2000 数量詞と格、『ここからはじまる日本語文法』ひつじ書房
原口庄輔・中島平三・中村捷・河上誓作 2000 数量詞の作用域、『英語学モノグラフシリーズ1〈全21巻〉 ことばの仕組みを探る―生成文法と認知文法』研究社
橋本永貢子 2001 中国語数量詞の<恣意性>について、『岐阜大学地域科学部研究報告』9
加藤鉱三 2001 副詞的要素としての遊離数量詞、『人文科学論集. 文化コミュニケーション学科編』35
立石浩一・小泉政利 2001 遊離数量詞、『英語学モノグラフシリーズ3〈全21巻〉 文の構造』研究社
奥野忠徳・小川芳樹 2002 数量詞間の作用域関係、数量詞と束縛代名詞、名詞句内の数量詞の作用域、疑問詞と数量詞の作用域関係、遊離数量詞の作用域、『英語学モノグラフシリーズ9〈全21巻〉 極性と作用域』研究社
高見健一・久野暲 2002 名詞句からの外置構文と数量詞遊離構文、『日英語の自動詞構文―生成文法分析の批判と機能的解析』研究社
楊凱栄 2002 「も」と“也” ――数量強調における相異を中心に、生越直樹編『シリーズ言語科学4 対照言語学』東京大学出版会
松本純一 2002 日本語の遊離数量詞構文を通して見た生成文法小史、『東洋女子短期大学紀要』34
江口 正 2002 遊離数量詞の関係節化、『福岡大學人文論叢』33(4)
松倉 茂 2002 数量詞の作用域と特定性、『研究紀要 : 富山医科薬科大学一般教育』27
羽鳥百合子 2002 日本語の数量詞遊離:用例にみる機能的特性、『川村学園女子大学研究紀要』13(1)
橋本永貢子 2003 非指示的名詞句における数量詞の働きについて、『岐阜大学地域科学部研究報告』12
木村宣美 2003 遊離数量詞の構成素性について、『人文社会論叢. 人文科学篇』9
坂口真理 2003 日本語における数量詞の作用域、『ノートルダム清心女子大学紀要. 外国語・外国文学編』27(1)
西垣内泰介・石居康男 2003 数量詞の遊離、『英語学モノグラフシリーズ13〈全21巻〉 英語から日本語を見る』研究社
小林昌博 2004 数量詞の形式と量化の領域:日英語の対照の観点から、佐藤滋・堀江薫・中村渉編『対照言語学の新展開』ひつじ書房
小林昌博 2004 数量詞の形式と量化の領域:日英語の対照の観点から、佐藤滋・堀江薫・中村渉編『対照言語学の新展開』ひつじ書房
西山佑司 2004 『日本語名詞句の意味論と語用論―指示的名詞句と非指示的名詞句―』ひつじ書房 January 04 長渕剛とんぼ
作詞者名 長渕剛 作曲者名 長渕剛 コツコツとアスファルトに刻む【 Y MZ ++ 和*风*日*语 www.jpwind.com 更多资源 更好服务 ++eI 0E&`】
足音を踏みしめるたびに 俺は俺で在り続けたい そう願った 裏腹な心たちが見えて やりきれない夜を数え のがれられない闇の中で 今日も眠ったふりをする 死にたいくらいに憧れた 花の都 大東京 薄っぺらのボストンバッグ 北へ北へ向かった ざらついたにがい砂を噛むと ねじふせられた正直さが 今ごろになってやけに骨身にしみる ※ああしあわせのとんぼよ どこへ
お前はどこへ飛んで行く ああしあわせのとんぼが ほら 舌を出して 笑ってらあ※ 【wVdvb,?l++ 和风日语 www.jpwind.com 更多资源 更好服务 ++ }P!L Y】 明日からまた冬の風が 横っつらを吹き抜けて行く それでもおめおめと生きぬく 俺を恥らう 裸足のまんまじゃ寒くて 凍りつくような夜を数え だけど俺はこの街を愛し そしてこの街を憎んだ 死にたいくらいに憧れた 東京のバカヤローが 知らん顔して黙ったまま 突っ立ってる ケツの座りの悪い都会で 憤りの酒をたらせば 半端な俺の骨身にしみる (※くりかえし)
(※くりかえし) 長渕 剛(ながぶち つよし、1956年(昭和31)9月7日 - )は日本のシンガーソングライター、俳優。本名同じ。「長淵 剛」は、誤記。鹿児島県鹿児島市出身(出生は日置市伊集院町)。
経歴 1977年、シングル『雨の嵐山』で歌手としてデビュー。(※一般的には再デビューの1978年『巡恋歌』を本格デビューとしている。)『順子』や『乾杯』、『とんぼ』、『しゃぼん玉』、『しあわせになろうよ』などのヒット曲を持ち、また、俳優としては、『親子ゲーム』や『とんぼ』、『オルゴール』などのドラマや映画出演で知られる。 ソロアーティストとしてアルバム初登場一位獲得数12作品という記録をもっている。またソロアーティストでは井上陽水、槇原敬之とともにシングル売り上げ1000万枚を突破している。 鹿児島市立中郡小学校、鹿児島市立甲南中学校、鹿児島県立鹿児島南高等学校情報処理科を経て、九州産業大学芸術学部写真学科中退。 妻は元女優の志穂美悦子。 長女である長渕文音が、2008年夏公開の映画「三本木農業高校、馬術部」(監督:佐々部清)の主役として女優デビューすることが内定し、今後が注目される。
人物 警察官の父親・邦治(くにはる)と母親・マス子の長男として、1956年9月7日、当時の鹿児島県日置郡伊集院町(現・日置市)にて生を受けた。上に姉がいる2人姉弟。兄がいたが乳児期に病死している。 子供のころのあだ名は「レオン」。 愛犬はホワイト・スイス・シェパードの「レオ」。 現在でこそ肉体改造で筋肉質の体になっているが、出生後まもなく、インフルエンザで生死の境をさまよっていたと言う話がある。幼い頃の長渕は体が非常に弱く、よく喘息発作を起こし、病院通いが欠かせなかった。 音楽が長渕の楽しみであった。吉田拓郎(長渕と同郷)や加川良、友部正人、遠藤賢司等のフォークソングを好んで聴いていた。「自分もいつかはミュージシャンになりたい」と言う願望もあったのか、中学3年の正月に3000円のガット・ギターを購入し、鉄弦を張り思いのままに好みの楽曲をコピーしていったのである。 シンガーソングライターとしての道を歩むきっかけとなったのは、高校時代に生で観覧した、拓郎のコンサートであった。これを境に拓郎、更には加川や友部と言った、当時売れっ子だったフォークシンガーの歌に傾倒していく事になる。大学進学後は洋楽も聴くが、基本的には1960~70年代の、日本のフォークシンガーからの影響を強く受けている様である。 1980年代半ば頃にはロック色が強くなり、サウンドにも現れたが、1980年代後半からは原点であるアコースティックに戻っている。 デビュー当時は、今とは違いかなり透き通った発声で歌っていたが、自分自身の作りたい楽曲のイメージとの乖離に悩まされ、1980年代の半ばから発声方法を変える様になった。ボブ・ディランの歌声への憧憬から、焼酎やルゴールの原液で何度もうがいをし、歌手の命でもある喉を焼き切った。しかし、それでも簡単には声質は変わらなかった。長いライブ活動を続けていくうちに、透き通った声は消えうせ、しわがれた声へと変わる。そうして長年のキャリアで培われた独特の歌唱法や楽曲のスタイルは、10代から中高年層までの幅広い年齢層で数多くのファンを生み出した。また、そうした荒療治や歌唱法により、喉にポリープが出来ていることをインタビューで告白している。しかし、ポリープを除去すると声質が変わると医師に宣告され、声質を変えたくない長渕は、悩んだ末そのポリープを除去せぬまま今の声質を保っていると語っている。 歌を披露する際には必ずガムを噛みながら歌っていた時期もあった。 幼い頃からジープ を好み、その後HUMMER H2を購入する。その時、取材で『H1は鉄が走っている感じ、あれは軍用車、H2はオシャレに乗れていい』といったんH2を手に入れるが、桜島のコンサートを期に“選ばれし者が乗る車”“四輪駆動の王”と米国セレブからも好評のあるH1 HUMMERハマーを購入、現在所有。 俳優としても、『家族ゲーム』や『とんぼ』『しゃぼん玉』等のドラマ、『オルゴール』や『男はつらいよ・幸福の青い鳥』『英二』等の映画に出演している。 デビュー当初は痩身で長髪のフォークシンガーというイメージで、「遅れてきたフォーク青年」と呼ばれたりもした(長渕のデビュー当時はすでにフォークブームが過ぎた後であった)。透明な声と繊細なラブソング、達者なフィンガーピッキングによるアコースティックギターで人気を博し、現在の彼とはかなりイメージが異なっていた。1980年代半ばからは髪を切り、同時期に出演していたドラマでの気さくな兄ちゃん振りから、徐々にやんちゃなイメージになっていった。 1988年に主演したTVドラマ『とんぼ』でのヤクザ役が大当たりした。この頃から歌声はいっそう枯れていき、歌詞もハードなメッセージを前面に打ち出したものになっていき、ドラマのイメージも相まって、バイオレンスなイメージが定着していった。また女性スキャンダルやスタッフへの暴行がたびたび報道されるようになり、1990年代前半にはその人気が絶頂になった反面、ダーティーなイメージもついて回った。1995年1月24日、大麻取締法違反で逮捕されてからは、かつてほどのダーティーイメージは薄らいでいった。 2004年8月21日に、鹿児島県の桜島特設ステージで、全国から約7万5千人の観衆を集めてのオールナイトコンサートを敢行し、大成功を収めた。このコンサート会場で売られていたオフィシャルミネラルウォーターは地元企業の商品であった。2006年3月19日には、コンサート会場跡地に記念碑が建てられる。記念碑名は「叫びの肖像」 2005年12月公開の東映映画『男たちの大和/YAMATO』の主題歌を担当。『CLOSE YOUR EYES』が先行リリースされ、話題になった。 スポーツ界との交流も深く、そのジャンルも、極真空手の緑健児やプロボクサーの戸高秀樹、プロ野球・福岡ソフトバンクホークスのゼネラルマネージャーを務める王貞治やオリックス・バファローズの清原和博、F1レーサーの佐藤琢磨、ラグビーの大八木淳史、K-1の山本"KID"徳郁、元Jリーガーの呂比須ワグナー、横綱の朝青龍等幅広い。 芸能界でも非常に熱心なファンが多い。以下にファンであることを公言している有名な人物を挙げる。 渡哲也、島倉千代子、岩沢厚治(ゆず)、押尾コータロー、MAKIDAI(EXILE)、清木場俊介、アンダーグラフ、橋谷康一(Jackson vibe)、向井秀徳、井ノ原快彦(V6)、藤原竜也、間寛平、松本人志(ダウンタウン)、松本隆博(松本人志の兄)、上田晋也(くりぃむしちゅー)、勝俣州和、上沼恵美子、ほんこん(130R)、ココリコ、博多華丸(博多華丸・大吉)、ワッキー(ペナルティ)、庄司智春(品川庄司)、田村淳(ロンドンブーツ1号2号)、柴田英嗣(アンタッチャブル)、フットボールアワー、児嶋一哉(アンジャッシュ)、吉田敬(ブラックマヨネーズ)、さがね正裕(丁半コロコロ)、山口智充、山田雅人、柳沢慎吾、長瀬智也(TOKIO)など。 このほか番組や映画での共演が縁で、芳村真理・白川由美・倍賞千恵子とも親交があるとされる。芳村は、「夜のヒットスタジオ」司会当時、彼の音楽的才能につき「彼(長渕)は天才だ」と絶賛し、長渕が甚く感激したというエピソードがある。白川に関しては「家族ゲーム」以降の親交があり、長渕は彼女を時折自身のコンサートに招待している。 芸能ジャーナリストの井上公造とは、大学時代の同じバイト仲間であり(井上は西南学院大学卒業)長渕が東京へ上京する時に井上が幹事で送別会を行っており、現在も交友がある。 絵画や詩にも才能を発揮し自身の詩画展を開き何度も成功を収めている。また、その収益金の一部を阪神・淡路大震災で家を失った子供達等の為に寄付した。鹿児島県関連の九州新幹線開業キャンペーンの風は南からの風の書体をデザインしている。その書体は、現在かごしま県民交流センターに展示している。 酒に弱い事は意外に知られておらず、この事を語っている楽曲もいくつか存在する。また以前はかなりの喫煙者であったが、現在は禁煙している。 使用ギターはレコーディングではギブソン製(J-45、J-200等)、ライブではタカミネ製のエレアコを主に使用する。エレクトリックギターは楽曲によってはライブでたまに使用する。 使用ハーモニカ(ブルースハープ)はTOMBOの「メジャーボーイ」。現在一般的なハーモニカホルダーの形(テンホールズハーモニカ専用で、ハーモニカをセットする部分が狭くなっている)は彼が考案したものとのこと。「特許をとっておけば良かった」と雑誌のインタビューで語った。 「週刊ザテレビジョン」では、イメージが合わないことを理由に、レモンの使用を拒否したことでも有名。 2003年に放送されたラジオ番組「今夜もバリサン」で長渕は今は亡き「尾崎豊」についてとつとつと語った。「彼(尾崎)は最後レコード会社からも見捨てられ、本当に孤独だったんだ。彼みたいな才能ある人間を業界は孤独にさせたらだめだ!」とも語っていた。 2007年4月27日、関西テレビ放送制作、フジテレビジョン系列(FNS)で放送の『さんまのまんま』で、明石家さんまと対談。過去にさんまとは「明石家さんまのオールナイトニッポン」で対談を行ったことがあり、放送でもその点について触れていた。「ラーメンは吸うのか噛むのか」などで言い合う珍妙なトークを行い、最後は2人で『とんぼ』をデュエット。ハーモニカ(TOMBO・メジャーボーイ)をさんまにプレゼント。ただしギター弾き語りは行われず、『とんぼ』は国吉良一(因みにさんまの『真っ赤なウソ』の編曲者でもある)のキーボード演奏に拠る物であった。 1992年に行われた東京ドームでのセンターステージライブに関して、本人は「あまり覚えていない」と語った。65,000人の熱気のど真ん中で、あまりにインパクトがあったとの事。また「東京ドームという場所は、本来ライブをやるべき場所じゃない。(音響面で最悪、自分の声が数秒後跳ね返ってくる)ドームでライブをやる必要性がある時はやるけど」と語っている。 「アコースティックギターは弾くものじゃなく、叩くもの」という持論を持っている。故に、ピックで弾きながら、手の平の腹部分で、ギターのブリッジ付近を叩きつつ演奏する曲も多く見られる。これはニール・ヤングの影響と見られる。 |
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