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    January 16

    書きかけの「単数名詞句」

    日本語の単数数量詞

     

    0.はじめに

     数学的な数の関係は言語によって違いが生じないのだが、指示対象の数の表し方は言語によってさまざまである。特に単数の場合はもともとの数の概念が文法化を経て「不定」、「指示的な」対象を表記するようになる、ということが多く観察される(Givon1981:50)Givon(1981:50-51)は単数数量詞の文法化をまとめている:

     

    (1)  数量 > 指示性/ > 総称/

    表示義    共示義[1]

     

    「一」という数の概念によって指示対象の「存在」を示すことになり、さらにその「存在」の概念が抽象化し、「総称」を表すことに至る。言い換えれば「一」にある実質的な数の意味がだんだん薄くなり、不定冠詞として文法的に働くようになることが示されている。

     日本語の単数数量詞は英語の不定冠詞のように義務的に名詞に付く必要がないが、そうかといって単なる数の概念を表しているでもないようである。文法と意味の中間段階に位置づけられる日本語の単数数量詞がどういった要因で選択されるのかを検討する。

     

    1.先行研究

     日本語の数量詞は連体修飾だけでなく、名詞の後ろに置くこともできる。高見(1998)は数量詞遊離を許す名詞句は、主題化可能な名詞句に限ると述べ、主として主語と目的語をあげた。

     

    スケールの両極端、一方は例えば数の計算、一方は冠詞になっている「一」に当たる。その中間の段階は、義務的に表示する必要がないが、ある程度指示性を帯びる。

     日本語と

    日本語の単数数量詞は(1)の。指示対象が単数であっても必ずしも「一」を付ける必要がないため、単数数量詞がかなり実質的な「数」の意味を示していることがいえる。

     

    「男、タヌキ、会社員」など、日本語では裸形式の普通名詞が、ある特定の対象、不特定の対象、さらに集合全体を指すこともありうる。

     

    (1) むかし、むかし、あるところに、おじいさんおばあさんがありました。(『桃太郎』)

    (2) ある日の暮れ方のことである。一人の下人が、羅生門の下で雨やみを待っていた。(『羅生門』)

     

     たとえ物語りの中に始めて導入された人物であっても、いちいち単複を示す必要がない。裸名詞ならばその指示対象が単数であることが自然に分かる。しかし一方で、(2)のようにわざわざ単数を付けるのはなぜだろうか。

     

     

    たとえ数が表されても、さまざまな用法が入り混じっている。和語系の「ひと月」、漢語系の「三匹の子豚」、重ね方の「山々」。このような数の示し方は「一律ニ推シ難シク、又、単複ヲ区別セズシテモ、前後ノ文勢ニテ意解ス」(大槻文彦『広日本文典』P.53)。

     

    ○なくても文法的には成立するのに、なぜ単数数量詞が選択されるのか

    ○必ずある場所は?

    ひと晩?

    ○数量詞と描写、カメラの焦点

    人物と視点の遠近法(羅生門など)

         情報の管理:輪

    主語、暗黙の視点は「私」。

    それを知っている情報として提供するかどうか。それを描写の対象にするかどうか。

    既知と未知、情報の導入、新聞記事VS文学作品

            連体修飾がなぜ必要なのか

            

    「数字」に「の」格と他の連体修飾との関わり

           ひと晩、二晩、一花ふた花→熟語になっているから?

     語順と格と名詞句の意味:「が」格(時間、場所など、背景情報が必要かどうか)

                        「を」格

                        措定文述語(語順と意味の関わり)

    最も言いたいのは:

    単数数量詞が不定冠詞になっている英語

    それに違い形になりつつ中国語

    単数数量詞が現れるルールを探りたい

    数量という語彙的な意味→???→文法的な機能を果たす「不定冠詞」

    不定と定の区別は?了解済み(世界で唯一のもの、その場にあるもの、前の文脈にあるもの)She is a woman. He is an engineer. He is a student. 属性を表す不定

    この間に何があるのか。

    対訳に役に立つ?

         主語の場合は「一人の男が彼を叩いた」→ ある既知のグループの中の一人。

            「羅生門、一人の男が階段を上っている」→背景あり、映画みたい、ズームアップしている



    [1] 原文:quantification > referentiality > genericity /

    / denotation  connotation

    「表示義」とは第一次的な意味、誰が見ても同じ意味。「共示義」とは第二次的な意味、文化や個々の人によって違ってくる。訳語は池上(1984)『記号論の招待』を参照。

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